社会
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オール電化は儲け主義の象徴
東京電力が原発事故の処理とそのメドもつかぬままに電気料金の値上げをするようである。今後の電力供給について、なんら未来図を描けないにもかかわらず、背に腹は変えられないとばかりに、ここにきて申請に踏み切った。弱者と侮ってか私達エンドユーザーに天文学的な負債を押し付けようとしている。
まず、収益ありきなのだ。儲かること、黒字経営こそ会社の正義なのである。テレビコマーシャルでは、いかにも国民の生活にやさしく寄り添うようなポーズを装ってはいたものの、一転、社の存亡がかかった局面を迎えるや、なりふり構わず、正体を露呈した形である。事故処理の過程や、自らさらした、今回の姿勢の中に東電の本音が見えてくる。
大津波によって引き起こされた原発事故だったが、つぶさに検証して見ると人災の影がかなり強い。この認識は広く国民の間に定着してきている。競争原理の働かない、治外法権的な土壌で培われた体質、つまり上から下までもが、一体となってぬくぬくとした温室生活をただ享受し続けていただけで、担保していた筈の安全性と電力の安定供給は日常的には真剣に省みることなく、ただ、ただ、オール電化の掛け声も華々しく、電力需要の伸展一本槍に突き進んできた結果が、こんな形になって現れてしまったのだ。
売り上げ至上主義で業績は年を追うごとに向上していく、まさに日本を代表する超優良会社であって、株価も常に高値を維持し続けていく。これが経営陣の目指す東電の姿で事実その通りに発展していった。
一方、公共性から生ずる社会的な責任については、有り余る予算を新聞・テレビの広報を駆使してやたら立派なお題目を唱えていただけで、必ずしも重要視していたとは思えない。強い社会性をバックボーンにしなければならない筈の会社としては、あまりにも情けない話であった。
おかしな東電の始まりは・・・
かって、貧窮のあまり電気料金を払えなかった独居老人の電気を、見せしめとばかりに切ってしまい、熱中症で死亡させてしまった事件があったが、心を痛めた方が大勢いたと思う。こんな痛ましい事件を招きながら、東電では誰一人として説明責任を果たさなかった。人間らしい社員は一人もいなかったのだろうか、はたまた、強力な箝口令が敷かれていたのか当時の様子が知りたいものである。
いま思えば、この辺で東電はちょっとおかしいと気づかなければいけなかったのだが、優良企業だと思い込んでいた東電の事だったので、やや矛先が鈍ったのだろうが、本質をさらけ出した東電だったが簡単に終息したので、これが危機管理に結びつかなかったのも、ひとえに幹部たちが緊張感に欠けたお公家さん集団であったからである。
本来ならば、この時点で人心を失っていたのだが、何の治療も施さずに運よく延命してしまった為に、今回のような、見苦しいまでに脆弱な当事者能力を天下にさらす事となってしまったのである。情けなくなる程のていたらくも、安心・安全を放置し、社会的な責任をも自覚せぬままに、自社の繁栄のみを謳歌してきた結果であるのにもかかわらず、事故後、何日経っても、どこを改善しなければならないのかまったく判ってないようだ。
つづく
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