トップページ ≫ 社会 ≫ 陸山会事件と小沢一郎(2)「小沢一郎選挙の実態」
社会
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小沢一郎はご承知のように二世代議士である。亡父の佐重喜は弁護士でもあり中堅の代議士であった。小沢一郎が司法修士生として学んでいる最中に父が死亡したため、1969年の衆議院議員選挙に急遽出馬する事になった。当時では驚くほど若い27歳の候補者であった。選挙区は岩手県南部で平泉の中尊寺がある付近一帯である。水沢と一関の二つの市と、その周辺町村は典型的な村型選挙の世界であった。
水沢を地盤とする小沢家は、いつも一関の大票田をバックにした有力候補に悩まされ、神経をすり減らしていたし、父の選挙はいつも苦戦続きであった。引き継いだ選挙区は当時の日本ならどこにも見られるような古参議員や各界を牛耳る地域のボス達が幅をきかす、いわゆる地盤、看板、金庫番の三バンによる力ずくによる生存競争が繰り広げられている激戦区であった。経済的に困っているクライアントからは弁護費用を受け取らなかったと云われていた父・佐重喜は落選の憂き目にもあっているほどで、まさに修羅の世界である。
こんな父の背中を見て育った一郎は、その都度、選挙だけは絶対に強くなければいけないと思い、この時の気持ちが、その後DNAに組み込まれてゆく事となるのであった。この経験から学び修めた旧式の村型選挙が後に指揮する幾多の選挙の原形になってゆくのである。だから、どんなレベルの選挙でも、この基本形式を崩さないこだわりを持っている。つまり、縁故をもとにして、一票一票を丹念に掘り起こしてゆく。これを組織ぐるみでやらせて次々と戦線を拡大してゆく。支援組織が大きくなればなるほど裾野は広がるし集票の手応えも実感できる。手間ひまは掛かるが、選挙はこのやり方が絶対一番だと思い込んでいる節がある。これは、戦争に例えれば歩兵を使った地上戦である。昔はともかく、現在はどこの国でもやらない。米軍のイラク攻撃にだって限られた地域内でしか行われていない。歩兵を展開させるこの戦法は味方の被害も甚大になるので行われないのだ。戦果は確実だが人命が失われ世論の反発を受けるので戦費が高く付くのである。だから、どこの国もこれに代わる戦術に転換するのは当たり前の事なのである。
小沢一郎の選挙では、この地上戦が軸となっているので、ビラ撒きによる広報合戦やテレビや新聞での言論戦、例えれば空中戦がおざなりになってしまっているのだ。つまり、地上戦は強いが、空中戦の部分が極めて弱い旧式の戦術なのである。町村議会の選挙ならこれでいいのだが、大きな選挙になればなるほど地上戦の出来る範囲に限界がきてしまい、そこで票の伸びがストップしてしまうのである。
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