トップページ ≫ 社会 ≫ 陸山会事件と小沢一郎(4)「小沢一郎と山口敏夫」
社会
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小沢一郎が初めて臨んだ総選挙には、政界ヤングパワーの山口敏夫が応援に駆けつけた。山口は小沢より一期前の選挙で当選した全国最年少の国会議員であった。この二人を結びつけたのはS師で、選挙参謀として佐重喜を支えていた人であった。山口敏夫が初陣の際、在京中だったS師は、かって学友だった山口敏夫の義兄から参謀を懇請され選挙の指揮を執る事になったのである。そして、26歳の山口敏夫を見事に初当選へと導いた人である。
二期目を迎え全国的に知名度の高かった山口敏夫は党内の人気者で各方面から応援に引っ張りだこであった。自分の選挙区にはほとんど帰らず、国中を駆け巡って政治家としての地歩を固めるべく奮闘していたのである。寝る間もない程、タイトなスケジュールの中を恩人のS師に応えて何度も岩手県入りをして小沢一郎の当選に尽力したのである。海のものとも山のものとも分からない若輩の小沢一郎だったが、売り出し中の有望政治家がたびたび応援に来るという事は何よりも説得力があり、これによって小沢一郎は予断を許さなかった厳しい初陣をものにして政治生活を始めた訳である。
S師のその後は田中角栄から請われて若手議員の選対指導にあたり週刊誌にもちょくちょく登場していたが、さらには竹下派の選挙指導役として各地に派遣され役目を全うしている。小沢一郎事務所にも時々顔を出していたようだったが、辛口の直言がうっとうしいせいか徐々に距離を置かれるようになったらしいが詳しい様子は伝わってない。最近は故郷である岩手県に戻り静かな生活を送っていると聴いている。S師は石山本願寺に立て篭もり織田信長の大軍に一歩も譲らなかった紀州鉄砲軍団の大将だった雑賀孫市の末裔だと一部で噂されたが、ひょうひょうとした態度や是々非々の処世術から、それらしい感じの人ではあった。まあ、小沢一郎もS師のようなお目付け役が傍らにでも居れば、展開もかなり違っていただろうが、今のような丁稚秘書やひよっ子議員の茶坊主に囲まれて裸の王様になっていたんでは、ますます世間と遊離して行く事だけは間違いないだろう。
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