トップページ ≫ 社会 ≫ 陸山会事件と小沢一郎(8)「小沢一郎の剛腕政治?」
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
小沢一郎は集めた金で世間知らずの初年兵議員を私兵のようにコントロールして、幾多の政局でキャスティング・ボートを握って国政を揺り動かした事か数知れない。大した志もない小沢一郎にとっては、これが面白くてたまらないのである。剛腕と言われているが、むしろ傲慢で強引なだけなのである。だから、この心地よい政界ボスの座だけは絶対にキープしたい所なのである。政争には絡んでくる小沢一郎だが、国の未来に関するメッセージはほとんど伝わって来ない。総理大臣になったら何をどうしたいのか、この辺がちっとも判らない。人は金で動く、政治も金で動く、だから金さえあれば日本を動かせる。どう動かすかは是々非々が一番いい、政策は世論の風向きを見定めながら決めればいいと、結構ここらあたりが永い政界遊泳の果てに掴んだ小沢一郎の政治哲学かも知れない。この人は田中角栄から何も学ばなかったのだ。
小沢一郎が師と仰いだ田中角栄の「越山会」の呼称には越後の人たちの壮大な思いが込められていたのを知らないのだろう。戦国時代、上杉謙信は越後守護代の長尾家を継いでいたが、上杉憲政から関東管領職と上杉姓を譲られ上杉謙信を名乗った。当時は北条家の勢力が関東南部から北部に及んできたため、北関東の豪族からたびたび救援を要請され、これに応えて謙信は幾度となく山深い上越国境を越えて出撃している。義による関東への出兵、この壮挙を越山と言ったのである。田中角栄はこれを踏まえて、越後から東京へ出て政治活動する事への万感の思いを託し「越山会」と命名したのであった。越後の国に住まう人たちの思いも同じであった。この後援会の組織は地域・職域・女性・青年部などに細分化されていて、各界各層の声が目白の田中角栄に届くよう配慮が行き届いたものだった。床屋さんにだって、山間部の小さな集落にだって越山会が作られていたのである。田中角栄は人情の機微を知り情誼に篤い政治家であったので、時には地区の幹事長が長靴姿のままで目白御殿を訪れる事もあったと言われている。
主 幹
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR