トップページ ≫ 社会 ≫ 陸山会事件と小沢一郎(10)「小沢一郎時代の終焉」
社会
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天皇陛下は3月11日の追悼式に出席するために、心臓手術を早められたそうである。両陛下の跪いたお姿と、ひとりひとりの被害者に慈愛に満ちた優しさでお話されるのをテレビで見た多くの国民は救われた思いがした事であろう。天皇はまさに国の象徴にふさわしいお方であると感じた映像であった。それにひきかえ政治家たちのお粗末な姿は際立っていた。どいつもこいつも、まあ、あきれるほどの体たらくぶりであった。これは、ひとえに、国を思い国民を思う気持ちが本当であったか否かだけだろう。つまり、偽善は有事には露呈してしまう事を実証していただけなのである。本物の政治家が居なかったと言う話である。
かっては兄弟の如く親しかった野中広務、熊谷弘、二階俊博、藤井裕久等とみんな喧嘩別れとなってしまったのは何故だろう。胸襟を開き語り合う同志が一人去り、二人去りして、いつの間にかみんな居なくなってしまっている。政治家の議論はどちらが良いか悪いかだけではない筈である。激しい政策論争を交わした果てに認めるべきは認め、譲るべきは譲りあって合意点を探すのが本来のあり方だと思うが、話しても判らない奴は要らないでは始まらないのである。粘り強い説得力と相手を敬う気持ちが民主政治では不可欠な要素である筈だが、ヒューマニズムに欠けるのか、我を張り過ぎるのか、人の上に立つ身としては、みっともないほど狭量過ぎはしないか。この辺の欠如が一番の問題でもあるが、齢70を迎える身に、これを直す時間はもう無いであろう。
例えが悪くて恐縮だが、小沢一郎にとって大震災からの復旧支援こそが、自分を育ててくれた地元に報いる天与のチャンスだったのである。小沢一郎を慕う同胞達が被災者なのである。ここで動かずして何のための政治なのだろうか。政治家になった意味がまったく無いではないか。岩手の人々は心の中で泣いていると思う。岩手に生まれ育った政治家ならばもっと故郷を大切にしてほしいと願っているに違いないからである。
人物や事績をして、よく歴史の評価に任せるという言われ方をするが、声を限りに津波からの避難を呼びかけ続け、そのまま帰らぬ人となってしまった健気な女性職員の献身を歴史がいつまでもいつまでも賞する事はあったとしても、政界に君臨し強大な影響力を発揮していた小沢一郎の事跡を歴史が賞するような事には絶対にならないだろう。
堅い話が長々と続いたが、最後は笑い話で締めくくろう。原稿作りにパソコンを使っているが、「りくざんかい」と入力して漢字に変換すると「陸算会」となってしまう。ウーン、なんか言いえてるなあと妙に感じいってしまったが、まあ、最新のパソコンが「陸算怪」とならないか、よく注視していよう。
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