トップページ ≫ 社会 ≫ 江戸が見たければ川越に 川越は江戸の母松尾鉄城先生(東京家政大学講師)川越法人会中央南地区会研修会
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
川越法人会中央南地区会(立原雅夫会長)では税務を中心にした研修会を
開催しているが、今回は川越市文化財保護審議会委員で東京家政大学講師の
松尾鉄城先生を招き、新河岸川の舟運(しうん)の歴史を探った。
松尾鉄城先生講演要旨
歴史とは現代と過去との尽きることのない対話である。
江戸時代より船頭が新河岸川を使って江戸の粋、文化を運んできた。
この歴史のある新河岸川をこどもたちに、正しく伝えていきたい。
新河岸川は99曲がりと言われていたが、河川拡幅や水害対策などにより、
人工的に直線の流れとなった。
川の面影が消えていくことも事実。旧い写真を掲げるなどの活用が大切。
この新河岸川の舟運があったからこそ、川越がこれだけの町になった。
太田道灌が、川越城を築城し、現在の本丸を中心とした城下町がひろがっていったが、川越の語源は河越。古くは入間川を超える河越ということで、現在の上戸地区に残る河越館が中心であったということも覚えておきたい。
川越市を持続可能な知的感性を発信する歴史観光都市に。
そのためには歴史的事実をきちんとチェックすべき。
平成16年に開園した「仙波河岸史跡公園」の活用を。
「新河岸川舟運」は「江戸の母川越」「小江戸川越」の歴史文化を生み支えた。
「江戸を見たければ川越に」の由来
① 喜多院別殿は江戸城より移築された
② 喜多院庭園は江戸城紅葉山を模したといわれる
③ 蔵造りのまちなみはかつての京橋のまちなみに酷似
④ 菓子屋横丁は日暮里にあった菓子屋横丁に酷似
⑤ 上野寛永寺の根本中堂は川越喜多院本地堂(薬師堂)
「江戸のことは川越に。江戸の文化が川越に残っている。」
この文化を支えたのが新河岸舟運であり、この文化をもっと観光資源に。
二代将軍徳川秀忠の正室が江姫。
この二人の流れをみると、天皇家との関わりが。
すると川越も天皇家ゆかりの土地となる。
東京都では和舟を使って神田川をたどり江戸の名所を楽しむ「儒学ルート」を模索している。これらをふまえ、川越の観光産業に活かしていきたい。
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