トップページ ≫ 社会 ≫ 石原慎太郎の研究(6) <有終の美はいずこか>
社会
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石原慎太郎の政界入りは佐藤政権の末期である。全国区の参議院議員として空前の得票で政治活動のスタートをきっている。当時は派閥政治の全盛時代で佐藤派が福田派と田中派に分裂した頃であった。華々しく登場した新スターを仲間にと各派が競ったが福田派に席を置く事になる。一橋大学時代には当時の青年なら誰でもが心を寄せた左翼運動にかぶれ、その種の会合に出席していた為に、父親の死に目に間に合わなかった(石原裕次郎の付人が著した伝記に裕次郎が語ったとある)くらいに左傾化していたのだったが、下部とも言え組織の論理が何事より優先して個人の意見を抹殺する左翼運動のあり方は、自由に育った石原慎太郎の性格に、まったく相容れられるものではなく、社会主義の正体を付きとめた段階でおさらばしているのである。だから、石原慎太郎を右翼や国粋主義と言うより、身を持って左翼活動をした上での確固たる反社会主義であり反共主義者なのである。
自民党では戦前からの繋がりと伝統を大切にして国民党こそが中国を代表する政府であるとの認識で、主流派は伝統的に台湾の国民党と親交を重ねていた。石原は在籍した福田派議員と共に何度も訪台し政府要人の知己を得ている。この関係はその後も続き関係は現在もすこぶる良好である。だから、石原慎太郎はけっして中国や中国人が嫌いな訳ではないのである。一党独裁で国民の自由がまったく無い共産党が支配する政治体制が嫌いなのであって、おそらくこれさえ変われば何度も中国に出かけるだろう。記者から中国には行かれないんですかと聞かれるたびに「毒を盛られちゃかなわんからなー」とかわしているが、好奇心の強い人だけに本音は中国にも行ってみたいのだろう。日本人である事を常に意識している人であるだけに、自国文化のルーツである中国を訪れたいと思うのは当然であるが、残された時間の中では出来るかどうかは残念ながら判らない。是非、実現させたいと心から願っているのだが。余談になるが、中国で石原慎太郎の訪中を実現できる人物が居れば、国家功労者として第一等の表彰を受ける事は間違いないであろう。そのくらい石原慎太郎には中国政府が一目も二目も置いているのである。
石原慎太郎には心を許して語れる友人がいない。親友だった三島由紀夫に壮絶な討ち死にをされ、盟友の中川一郎にも自殺されてしまい、双子のように仲の良かった石原裕次郎にも先立たれてしまっている。従順で貞淑な妻と、まずまずの息子達や孫達に囲まれて一見幸福なのだが、そんな事では満足できないのが石原慎太郎の不幸である。しかたなく悪役を務め、懸命に突っ走った人生だったが、胸襟を開いて語り合える友のいない昨今、さみしくて仕方ないであろう。尖閣諸島の問題に関しては石原都知事も「言い出したんだから責任は取りますよ」と明快に答えているが、政治家として、この件で有終の美を飾るのか、さらなる動きで天命を果たす事が出来るのか、この稀代のキャラクターの最後はどうなるのか、期待を持って見守りたいと思っている。
おわり
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