トップページ ≫ 社会 ≫ いじめの問題は根深い 事の本質を見失ってはいけない
社会
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いじめの問題を生易しく考えるべきではない。
天下の裁判所すら、あきれるほど愚かな判決をだした。いじめと自殺の因果関係はないと。これは100パーセント嘘だ。多感な少年、少女時代の死は複雑な要因が重なり合っての結果であり、親からみて、少しでもいじめの気配があったなら、ほとんど因果関係は成立していると思ってよい。いじめは凶悪犯罪だ。罪もない純真な子供の命を教師と一体となって行うのだから許せない。教師と一体とは何か。教師はほとんどの場合、見て見ぬふりをして、間接的にその死に協力しているという意味だ。“なかには一生けんめいの教師もいる”という言葉は実感に乏しい。何故なら、死を賭して、いじめを阻止する教師は皆無に近いからだ。教師は生徒が恐いのだ。中学生という半端青年に肉体的にも勝てないからだ。校長もそんな実態は知っている筈だ。でも校長も自分の学校の恥をさらけだしたくないのだ。教育委員会という訳のわからなくなってしまっている組織におびえてしまっている。教育委員会は教育長の独壇場だ。他の教育委員は身体を張って、異説を唱える者はほとんどいないのが現状だ。事勿れ主義が定着し、とにかく、隠すことに専念する業界なのだ。子供達はこんな教育業界をナメきっている。学校より塾の方が子供達の教育の場となって、どっちをとるかといえば塾の教えだ。
例え自殺までいかなくても、いじめられ心に深い傷を負ったまま、暗夜行路の人生を歩まざるをえない人々を、教育業界はどれだけ知っているだろうか。いじめの問題は対処療法ではとても解決しない。教師が威厳と恐さを身につけるには、大学出たてで先生と呼ばれている者達ではとても無理だ。教師は医者同等のトレーニングをすべきだ。大学は最低6年、そのあと、最低4年は社会的実践と武道の実習。そこまでもっていかなければいじめはなくなる筈がない。そのトップが校長でなければならない。そして校長こそ教育委員会を超えた存在となった時、少しは光明が見えるだろう。小誌がこの文を記述している最中にも、陰湿な犯罪が影ながら堂々と行なわれている現実を忘れてはならない。
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