トップページ ≫ 社会 ≫ WBC大活躍の鳥谷選手と聖望学園
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WBC。対オランダ戦は日本チーム(侍ジャパン)の圧勝。それは鳥谷のホームランからだった。一回表、一番、鳥谷のバットが神を呼んだ。鳥谷らしい軟らかい弧を描いて白球がスタンドにすいこまれていった。しかもオープンスタンドで左打者がライトまで球を運ぶという技は、その角度とタイミングの絶妙なる一致あってこそ可能だ。鳥谷という選手のセンスが球界でも屈指といわれるゆえんだろう。
そして勝負師は勝負勘が必至だ。オランダ戦の前の台湾戦、9回まで日本が1点差で負けていたにもかかわらず、鳥谷の足が二塁を盗んだ。これ又、絶妙のタイミングであり勝負師の勇気が鳥谷の足に奇跡をおこさせた。日本の逆転勝利は鳥谷が導いた。
意外としられていないが鳥谷は埼玉県飯能市の聖望学園の出身だ。早大卒は知られているが聖望学園卒ということはあまり知られてはいない。
その聖望学園。今では文武両道の有名校だが昔はまったく違った。昔といっても30年から40年以前のことだ。当時の理事長と校長が偉かった。この私学を何とか有名校にしたいということで、まずは野球、そして陸上に力を入れた。
聖望学園はもともとは、大正7年(1918年)原敬内閣の頃、蚕農家が多かった飯能町で後継者育成のために寿多館蚕業学校として創立され、その後財団法人飯能実業学校、埼玉県飯能実業学校となり、埼玉県西武地域の実業家達を輩出。丸広デパートの創立者大久保竹治氏はじめ、そうそうたる卒業生がいた。そして幾多の星霜を経て、キリスト教主業学校として現在にいたっている。
聖望学園は春の選抜でも準優勝に輝き、夏の甲子園でもベスト8位入りをするなど、まさに強豪高校となった。
プロ野球でも鳥谷選手のほか門倉健。小野公誠等がいる。
オランダ戦での鳥谷のホームランは軟らかく美しい弧であり、その弧はあたかも聖望学園の前身蚕業学校のマユの糸が絹糸に変わり、あざやかにして細いシルクロードの幻を見てしまったといっても言い過ぎではあるまい。
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