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年2回の芥川賞(正式名は芥川龍之介賞)は同時発表の直木賞とともに文壇恒例行事となった。今回は京都在住の藤野可織(33歳)の『爪と目』に決定。二人称の「あなた」を多用した独自の文体が評価されたという。他の候補作も、有名タレントや劇団主宰者、元・相撲の行司など作者の顔触れはにぎやかだった。
前回(第148回)は75歳の黒田夏子が史上最年長受賞者、そして横書きでひらがなによる表現にこだわったことが注目された。第146回は受賞者・田中慎弥の記者会見でのとんがった発言が反響を呼んだりと毎回、作品や受賞者の特性が脚光を浴びる。新人賞に過ぎない芥川賞が文学界の最大行事のように騒がれ、それによって賞がやたら権威化されているのは違和感があるが、これも賞を運営する日本文学振興会すなわち株式会社文藝春秋の巧みな営業戦略があってこそのものだろう。
芥川賞自体については作家をはじめ多くの人が書いているが、今年1月刊行の『芥川賞物語』(川口則弘・著 バジリコ刊)は1935年の第1回から昨年7月の第147回まで受賞作と候補作のすべてのタイトルが紹介され、選考経過についても記述されている。すんなり受賞作が決まることは少なく、選者の票が割れて受賞作なしが続いた時期もあった。受賞後も安定して作品を生み出せる能力が求められのので、何回か候補作入りしてから受賞にいたるケースが多い。
今やノーベル文学賞候補といわれる村上春樹は、芥川賞では2度候補になったものの、受賞できなかった。受賞しなくてもヒット作を出し、新人扱いしにくくなったという事情もあるようだ。同様な例では吉本ばなな、島田雅彦らがいて、芥川賞選考の失点として引き合いに出されることが多い。その島田雅彦が現在、芥川賞選考委員に就いているのだから面白い。逆に受賞しても、以後ほとんど作品を発表することなく忘れ去られた人がいることも事実だ。
1960年の第43回まで5回も候補(当時の最多記録)になりながら受賞を逃し、数年後に官能小説で中間小説誌に登場、その分野で第一人者なったのは川上宗薫だ。本人も「受賞していたら、別の作家人生になっただろう」と語っていた。いっぽう、第46回で受賞した宇能鴻一郎はその後、活動分野を広げ、1972年からは独得の女性独白調の官能小説を量産し始めた。夕刊紙、スポーツ紙に連載の宇能の官能小説を知っていても芥川賞受賞作『鯨神』は知らない人がほとんどだろう。1980年前後に3度候補となり、村上春樹、尾辻克彦らと競り合ったものの、あと一歩だった丸元淑生は、間もなく小説から離れ、栄養学の視点からの料理研究家として活躍を始めた。
芥川賞はこのほかにも数々のドラマを生んできた。今後も毀誉褒貶(きよほうへん)はつきまとうだろうが、文学界、出版界に刺激を与え続けてほしいものだ。(文中敬称略)
(山田 洋)
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