社会
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「俺らはね、二十年前に燃え尽きちゃっているの。だからコメントはないな。」
これは、現在の飯能市の経済界の一翼を担うA氏の独り言。
今回の飯能市長選挙。
その結果に多くの市民がびっくりした。
飯能市を沢辺王国と当サイトでも既報した。
沢辺氏の流れは万全なものと市民が思い、合併した名栗村出身の大久保氏が沢辺氏をよもや破るなんてありえないというのが大方の見方だった。
飯能はかつて、西川材を育み、絹織物もさかんだった。
旦那衆が羽振りをきかせ、きっぷのいい芸者衆が彩りを添えたまち。
やはり、財力を持ち名士と言われる人々が政治を動かしてきた。
昭和40年代 飯能の土地っ子ではない弱冠26歳の市議が誕生して政治の流れが少しずつ変化した。
その市議は山林王と言われた市川宗貞氏に市長選に二度挑み僅差で敗退。
その後、参議院に転身した石井道子氏の後任を決める県議会議員選挙に挑戦。相手は石井一族の一人産婦人科医の石井照雄氏。激戦を制した。
県議会でも、ノ―原稿で一般質問をし、さらには自民党の浄化、体質改善を訴え、自民党県議団を分裂させてまで改革運動に一身を賭した。
一方、飯能では小山誠三氏と沢辺瀞壱氏の平成元年の一騎打ちの市長選挙。
その県議が小山氏の選挙対策本部長をつとめ、小山市長が誕生した。
沢辺氏は敗戦。市議ではトップ当選した沢辺氏だったがはじめての挫折だ。
しかし、二年後に行われた県議選に沢辺氏が出馬し、盤石であるはずの現職県議を退けた。
この歴史をみると、冒頭の燃え尽きてしまった六十代の気持ちが推し量れる気がする。
ところで勝った大久保氏。選挙公約がすごい。
あの四年前の夏の衆議院選挙を彷彿させるのだ。
子供手当だの、高校の授業料無料化だの民主党マニュフェストは夢がちりばめられ、若い子育て世代がこぞって投票に。結果民主党政権が誕生したが。
これは、全国民が承知のとおり、「決められない政治」と夢物語の政治で国民は翻弄された。これは記憶に新しい。財政難は国も地方も同じこと。
国にできないことが、なぜ一自治体にきるのだろうか?
今、飯能市民は市民生活に大きな不安を抱いている。
「平成元年の戦いが違った組み合わせだと、マチもかわっていたかも。
歴史にタラレバはないけどね。沢辺さんも平成元年の戦い、平成三年の戦いを胸に選挙していたら結果は違っていたかもね」とA氏。
今回の結果は、飯能市民に20年前の一連の政治状況をフラッシュバックさせた。
大久保氏の戦いはこれからだ。おそらく茨の道だ。そして広げた風呂敷をどうきちんと納めていくか注目することも選んだ市民の責任だ。
そして、蛇足であるが、前述の飯能の歴史を変えようと奮闘した元県議は、現在弊社の会長である。
(伊勢谷珠子)
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