トップページ ≫ 社会 ≫ 『ビルマの竪琴』作者に聞きたかったこと
社会
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終戦から68年が過ぎたが、毎年8月15日が近づくと、日本中であの戦争についてのさまざまな思いが交錯する。小説でも大戦を題材にして数多くの作品が生まれたが、代表的なものの1つに『ビルマの竪琴』(竹山道雄・著)がある。新潮文庫版だけでも発行部数は240万、さらに市川崑監督により2度映画化され、1作目は海外からも高い評価を受け、2作目は興業的に大ヒットした。
日本が負けたことも知らずにビルマ(ミャンマーのこと)からタイの国境へ向かっていた小隊は、隊長が音楽学校出身で、苦しい中でもみんなで歌うことで互いに励ましてきた。伴奏は手製の竪琴を自在に演奏する水島上等兵。山中の村で英国軍に包囲された時も、敵を欺くため、あえて歌を続けた。すると森の中から英語の『はにゅうの宿』の唱和が始まった。――これが序盤の名場面だ。
その後、英国軍の了解を得て水島上等兵は、別の山中に立て籠もる日本部隊に降服の説得に向かったが、行方不明になる。捕虜の身ながらも水島の消息を案じる仲間たち。負傷した水島は数奇な体験を経て治癒、隊に戻る途中で、打ち捨てられた日本兵の遺体の山を見て強い衝撃を受ける。屍を葬り、魂が休むべき場所を作るため、ビルマに残る決意をし、仏につかえる僧になる。
作者の竹山道雄氏(1903~1984年)は旧制第一高等学校の教授としてドイツ語を教え、戦後は文筆業に転じた。保守派の理論家として知られているが、戦前・戦中を通して、ナチスや日本の軍部に対して批判的だった。今年になって『竹山道雄と昭和の時代』(平川祐弘・著 藤原書店刊)が刊行され、時流に反してでも貫いた自由主義の考えが再評価されている。
学徒動員で戦地に向かい、命を落とした教え子たちへの追悼の意を込めた『ビルマの竪琴』は子供向けに書かれた。30年以上前、私が出版社の児童書編集部に在籍中、児童文学全集の編集にかかわり、この作品も収載することになった。著者の写真が必要になり、カメラマンと一緒に鎌倉の竹山邸に向かった。
撮影用に服装を整えていた竹山氏は威厳に満ちていたが、話しかけると気さくに答えてくれた。この時の私は1つ聞きたいことがあった。作品の冒頭部分に、孔雀が舞い立ち、湖の上空を飛んで行ったという描写がある。当時、何回かインドを旅して、田舎で孔雀が群れているのをよく見たが、高く飛んで行くのは見たことがなかったのだ。
「ビルマに行かれましたか?」の問いに、竹山氏は「実はないんです」との返答。それを聞き、私は孔雀の件は持ち出さないことにした。――この話には続きがある。
数年後、県内の私の実家で、つがいの孔雀を飼い始めた。鶏と同じ小屋に入れ、卵も産ませていたが、久しぶりに訪ねると孔雀の姿はなかった。母の話では、小屋の戸を開けていたら、犬が入ってきて小屋の中は大混乱。2羽の孔雀は飛び上がり、そのまま隣家の屋根を越えて遠くへ飛んで行ってしまったという。母は興奮さめやらぬ口調だったが、私はうれしさが込みあげてきた。故郷の空を孔雀が飛ぶという非日常的シーン。そして『ビルマの竪琴』の記述に誤りはなかったことを確認したからだ。
幸いにも孔雀は舞い降りた畑の近くで作業中の人が捕まえてくれた。飛翔能力を実感した両親は孔雀飼育を断念、地元の小学校に寄贈し、校庭の一隅のケージをにぎわしたという。
(山田 洋)
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