トップページ ≫ 社会 ≫ 城下町岩槻で食す伝統のうなぎ~ふな又
社会
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人形の街「岩槻」を訪ねた。
川越のような知名度はないものの岩槻は城下町であり、街道の宿場町でもあった。今や観光地化した川越とまた違う風情を醸し出すこの街が私には興味をそそった。
ここ岩槻にも「時の鐘」がある。「時の鐘」といえば川越のシンボルとしても有名ではあるが、岩槻の「時の鐘」の鐘楼は1853年に改築されたもので、明治に再建された川越の「時の鐘」の鐘楼よりも古いもののようだ。
街を歩くと本丸公民館などの公共施設や旧街道沿いの商店では瓦屋根を使った建物が目につく。この辺りからも、どことなく城下町としての風情が漂う。
そして食も歴史を物語る。
駅から徒歩五分のところにある料亭「ふな又」。
創業天保年間、200年の歴史を持つ老舗の料亭である。
12代将軍徳川家慶による天保14 年4月の日光社参の行程の際に老中水野忠邦の家中上下8人がここ「ふな又」に宿泊したという。
天保14年の4月は最後の日光社参でも知られている。
さらに昭和39年現天皇皇后両陛下岩槻御視察の際、この店のうな重を召しあがられた。
その歴史あるうな重をいただくとしよう。
うなぎ高騰のこのご時世、鹿児島産と愛知三河産の活鰻にこだわり、その日出る分だけを仕込む。
注文して待つこと20分から30分。
和服を上品に着こなす美人若女将とともにお目当ての「うな重」がお目見えだ。
蓋をあけると白いご飯の上にしっかりとひきつめられたふっくらと肉厚なうなぎが舌鼓を打つ。
心地良い歯応えと甘くもなく辛くもないその絶妙なたれとのコラボレーションが舌の味覚だけではない、すべての五感をも刺激するといってもよいだろう。まさに極上の一品である。
ここ「ふな又」は松竹の名女優三宅邦子さんが生まれ育った実家でもある。
三宅邦子さんは埼玉県立久喜高等女学校卒業後、松竹に入社し1934年に「夢のささやき 」で映画デビュー。日本が誇る名匠小津安二郎監督作品の多くに出演した日本が誇る女優であった。その彼女が6人兄弟の末っ子として育ったのがここ「ふな又」だ。
城下町岩槻。その歴史は名所旧跡だけでなく街のいたるところにそれを物語るものがある。
それは観るものだけではない。歴史上の人物が食したものをいただきながら歴史を知るのも価値のあるものではないだろうか。
食欲の秋、文化の秋。秋風に誘われ、ここ人形の街岩槻で歴史を刻む名店に出会えた。
(古城 智美)
料亭 ふな又: 埼玉県さいたま市岩槻区本町4-1-8
ホームページ:http://www.funamata.com/
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