トップページ ≫ 社会 ≫ 村田奈津恵さんの行いに吉田松陰を想う
社会
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横浜市のJR線踏切で、男性を助けようとして電車に轢かれ亡くなられた、村田奈津恵さんにたくさんの同情が寄せられているが、国民の多くは、父親の止めるのを振り切り自らの危険をなんら省みる事なく敢然と救助を行った、温かくて優しい村田さんの人柄に心を惹かれたからである。JRの発表よると事故後に設置した献花台には、通夜が営まれた6日の時点で、すでに2000以上の花束が捧げられているという。これが、現在も途切れることなく続いているのである。テレビのニュースでは涙を堪えている若い男性の姿が映し出されていたが、この気高い行為には老若男女、世代を超えて多くの人々の胸をうち、心からの感動を呼び起こしているからだ。ニュースを見て、居ても立っても居られなくなり、ならばと現場を訪れて村田さんの霊に直接感謝を伝えたいとの事なのであろう。
何年か前、新大久保の駅でホームから転落した人を救おうとして亡くなられた韓国人留学生がいたが、彼の行動は日本社会に多大なインパクトを与え、いまも多くの国民の胸に刻まれているが、この時、先輩の一人が「青年と 大草原を 渡る風」と詠んで韓国大使館から、是非この句を使わせて欲しいと懇請されたものだったが、あの時は、異国にあっても、ためらわずに身を挺して手を差し伸べ亡くなられた勇気ある若者への感謝で社会ははち切れそうな感動に包まれていた。そして、この青年の行為が日本社会に爽やかな風となって伝播していったのだが、村田奈津恵さんの場合は勇気とか自己犠牲だとか言うようなものではなく、何か豊かな人間性に裏打ちされた温かみを感じさせるものであった。人間同士の絆を深く感じさせる優しさといたわりの思いのこもった行為だと感じた方が多かったのではないだろうか。現在の日本社会が渇望して止まないものを、そこに垣間見たからなのであろう。女性ならではの優しくて温かい風を社会に届けてくれたのだ。
通夜・葬儀には大勢の参列者があったようで、林文子横浜市長、黒岩祐治神奈川県知事を始め、政府からも地元とあって多忙な菅官房長官が安倍総理の感謝状を携え「あなたの人命を重んずる真に勇気ある行為を心からたたえるとともに、ここに謹んで深く弔意を表します」と読み上げていたが、村田さんの両親も「私たちも奈津恵の行動を誇りにして、一生懸命頑張って生きていきたいと思います」と立派に答礼していた。
幕末の時代に松下村塾の門を叩いた高杉晋作が、師の吉田松陰に「腐れ儒学を学んで何の役に立つのか」と迫ったが、松蔭は「僕らは、学者になるために勉強しているのではありません。人間にとってもっとも大切なのは、行動です。僕たちは何をなすべきか。世のため、というのはやさしい。では、世のためとは何なのか。高杉君は答えられますか」晋作は答えられなかった。松蔭は「その答えを見つけようとして、僕たちは互いにみがきあっているのです」と応じたという。窮地にある人を救おうとして、村田さんがとっさに取った行動は、たぶん40年の人生で磨き上げた村田さんの魂そのものが形となって現れたのだろう。吉田松陰が求めていた答えが、ここにあるような気がしてならない。
「身はたとひ 武蔵野の野辺に 朽ちぬとも 留めおかまし 大和魂」は名高い吉田松陰の辞世である。この松蔭の唱えた大和魂こそが日本人の心に大きく響き反映される事となり、その後の国家そのものを動かす原動力となっていった訳なのであるが、村田奈津恵さんが身をもって成した見ず知らずの人のために尊い命を投げ出してまで尽くした人間愛、松蔭に例えれば大和なでしこ魂だが、この優しい無償の愛は後々までも語り継がれ日本が真の福祉国家となる道筋で範となっていくと思う。それと共に、村田奈津恵さんの事もいつまでもいつまでも人々の心の中で生き続けてゆく事になるだろう。
( 仁 清 )
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