社会
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BS放送といえば、昔のドラマの再放送や韓流ドラマに通販番組と、どうもオリジナリティに乏しい印象がある。そんな中でBS-TBSの『吉田類の酒場放浪記』(月曜21:00~22:00)は、番組開始から10周年というから健闘が目立つ。2010年からは大晦日恒例の年越し番組にもなっている。私の周りの飲んべえたちにもファンが多い。
イラストレーターかつライターで酒好きな吉田類さん(64歳)が、首都圏を中心にフラリと酒場に立ち寄り、店の自慢の酒や肴を味わいながら、店員や他の客たちと一緒に盛り上がるという内容だ。1店につき15分で、毎回4本放送するが、1本目だけが新作で、他は過去のものの再放送だ。DVD(9枚)や書籍(6冊)にもなっている。
この番組が始まる少し前まで、彼とは飲み仲間だった。初めて会ったのは前世紀末つまり1990年代の終わり頃で、私は東陽町(東京都江東区)にあるYMCAウェルネスセンターのボクシングクラブの世話役をしていたが、そこに吉田さんが入部してきたのだ。
「オヤジ狩りに遭ったので、護身のため」というのが入部の動機だという。練習日は火・金曜の夜だが、彼は毎回のようにやって来て、サンドバッグをたたいていた。
このクラブは歴史が長く、かつてはオリンピック代表候補をはじめ、アマチュアボクシングのランキング選手を輩出したが、プロの選手養成を目的にしていなかったので、次第に有望選手はプロのジムに移るようになった。当時なら須藤元気さんがそうだった。K-1のスター選手を経て、今や拓殖大学レスリング部監督、作家、タレントと多彩な活動を展開する彼も、重大な決意をして総合格闘技の道を選択し、去って行った。
プロになる、試合に出るなどの目標がない部員たちは減量の心配がないから、練習後は連れ立って飲みに行った。当然のように吉田さんもそれに合流した。私たちは東陽町や住吉になじみの店があったが、彼の案内で門前仲町にも繰り出すようになった。
ここは富岡八幡宮と深川不動尊の門前町。昭和20年3月の東京大空襲で壊滅的な被害を受けたものの、昭和の色彩が濃く残っていて、面白い店も多かった。この頃、吉田さんは立ち呑み屋の本を出し、次の出版企画も抱えていたが、一人暮らしの気楽さか、いつも付き合ってくれた。
飲むと『酒場放浪記』そのままに場を盛り上げてくれた。店の人や常連さんからは「類ちゃん」と呼ばれて親しまれ、酒や肴についても必要以上の能書きは言わず、難しい話、野暮な話はしなかった。興に乗れば、カラオケに合わせて歌う。いつの間にか時間が過ぎて行き、気付いたら大宮行き終電に接続ギリギリの時間になっていたこともしばしば。
番組では必ず俳句を披露するが、当時から句会を主宰していた。句会と山登りの会に何回か誘われたが、一度も参加せず、酒だけの付き合いだった。テレビ出演が具体化して忙しくなったのか、ボクシングの練習から遠ざかり、住まいも東陽町から転居、連絡が途絶えた。
酒場めぐりが仕事とは羨ましくもあるが、60過ぎの身にはけっこう負担になるだろう。以前から健康には気を付けていたようだが、無茶はせず、番組20周年をめざしてほしい。
(山田 洋)
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