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戦後フィリピン・ルバング島で30年間任務を続けた小野田寛郎さんが、去る1月16日に91歳でお亡くなりになった。その2年前にグアム島で発見された横井正一さんと、ちょうど1970年前半に相次いで日本兵が発見された。当時の写真を見ると、横井さんには失礼だが、発見当時の横井さんの焦燥していた表情と小野田さんの毅然とした姿とがとても対照的だった。筆者はそこにインテリジェンス(情報能力)の有無があったのではないかと考える。横井さんは組織の指揮命令系統と断絶され約30年間サバイバルをしてきたわけだが、小野田さんは組織の指令を受け残置謀者(ざんちちょうじゃ―敵地に残って後方攪乱や情報収集活動をする者)としての任務を持って残ったのだ。だからこそ、当時の上官であった谷口少佐の任務解除命令を条件として投降したのは、それまで祖国の敗北を信じられなかったのではなくて、自己の30年間の行為を組織の任務であることを証明するためであったにちがいない。それは小野田さんが陸軍中野学校二俣分校出身ということと関係があるだろう。
市川雷蔵主演の映画「陸軍中野学校」の影響でスパイ養成所の印象を一般にはもたれているが、陸軍中野学校はもっと広義の情報戦の教育、訓練の学校だ。特徴はいわゆる軍隊の組織風土とはかけ離れた自由闊達な精神教育であるといわれている。小野田さんの卒業した二俣分校は遊撃戦(ゲリラ戦)の専門課程であるが、本校の教育の影響はあったと想像される。その校風は筆者なりに解釈すると、旧軍にあった観念論、精神論の世界とはかけ離れた、生きて虜囚の辱めを受けても生き残り、二重スパイになろうが敵を撹乱するというリアリズムではないか。このあくまで勝利という目的に対して必要なことを遂行する「目的合理性」こそがインテリジェンス(情報能力)のポイントであるといいたい。日本人は諜報活動に弱いと思われているが、実はそんなことはなく、問題はそれを活かす組織にある。
実際、先の大戦における軍部を筆頭とした官僚組織はインテリジェンス(情報能力)を活かすことができないほど組織硬直を起こしていた。内容の説明は紙幅の都合上避けるが、猪瀬前知事の「昭和16年夏の敗戦 (中公文庫)」は当時の組織トップがいかに情報を活かせなかったという経緯を著した良書である。情報分析とその分析結果を活かすも殺すも組織トップの度量であるということを、この本は教えてくれた。しかし書いた本人が活かしきれなかったことはもっと皮肉なことである。2月9日の都知事選ではオリンピックや電力問題、川口市長選では市庁舎の移転問題、きちんと情報を活かせるトップを選ぶことが小野田さんへの供養だ。
(小林 司)
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