社会
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テレビで見られない芸人こと松元ヒロさん(http://www.qualitysaitama.com/?p=28530)の持ちネタに、自らを日本国憲法に見立てた一人芝居「憲法くん」がある。去る25日さいたま市民会館おおみや小ホールで松元ヒロさんのライブがあり、その日の「憲法くん」は日本国憲法と自民党の改正草案の比較をしていた。慧眼だったのは日本国憲法の前文は「日本国民は」で始まるのに対して、自民党案は「日本国は」で始まり、それが上目線だと指摘をしていたことだ。憲法の本質は国家権力の暴走を抑えることにある、ということから考えるとまさにそのとおり。ただ日本国憲法は、GHQがほぼ10日間で作り上げた草案が出自だという原罪を背負っている。当時GHQは旧軍や財閥は解体したものの、自らの占領の便宜上、霞が関の中央官僚機構を解体できなかったため、総理大臣の権限の弱さや中央と地方の関係など統治機構に多くの問題を残した憲法になっている。サンフランシスコ講和条約後、主権を回復したときに改憲すべきだったところ機を逸ししてしまったことが非常に残念で、このときなぜ改憲できなかったか研究の余地がある。
一般的には、大日本帝国憲法から日本国憲法になり大きく民主化したと学校では教わってきていているが、残念ながら社会科の先生で憲法とは本質的に慣習法であることを理解している人は皆無である。大日本帝国憲法は天皇主権と書かれていながらも、大正デモクラシーにおける努力により、藩閥政治から政党政治へ実質的な国民主権が生まれ始めていたのである。(その意味で筆者は天皇機関説を取る)つまり世界的な基準で見ると我が国は戦前も戦後も立憲君主国なのである。だから実は一貫して近代日本の元首は天皇である。自民党草案における第一条の「天皇は、日本国の元首であり」に対して復古主義であると批判する人には、文理解釈をするのでなく、世界基準の視点で考えるべきだと言いたい。
自民党の憲法改正草案の一番の問題は24条の「家族」の新設であると筆者は考える。現行憲法の24条では、個人の尊厳と両性の平等の権利を保障する条文になっているにもかかわらず、改正草案では唐突に「助け合わなければならない」という義務の規定をおこなっている。そもそも憲法の本質から考えても家族は民法で扱うべき問題である。「風とともに去りぬ」ではないが、戦後の民法改正により「家制度」が去って70年、民法に「家族の扶養義務」だけが残った。国民感情として家族の助け合いを法律に落とすにはこれが限界であろう。すでにかつての「家制度」で育った世代がほとんどいない中、現在の民法以上の家族制度つまり現在の抽象的意味合いでない「家長」「分家」「勘当」などの制度を導入するなどというアナクロニズム(時代錯誤)を自民党も考えているわけではないであろう。単に生活保護の負担を減らすためにこの条文を作ったとは思えない。もしかしたら家族の恩恵を大いに受けてきた二世三世議員が多いから、このような条文を入れ込んだのではないかと勘繰ってしまう。
(林 智守)
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