社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
今回の解散は初物尽くしである。解散ではなく解散予告というやり方、8月投票、解散から投票日まで憲法が許す限界である40日をおいたこと、すべて現憲法下で前例はない。その上もし麻生さんの希望通り14日に解散していれば天皇に代って皇太子が解散詔書に署名するという前代未聞の事態がおきていたが天皇は17日に帰国なさるので、これは避けられた。
なぜそうなったか。麻生さんの思惑は、解散予告をすることで麻生降しを封じ込めたい、それと投票日までできるだけ日数をおくことで、その間景気や政治情勢の好転に期待するといったところか。お盆は避けたい、かといって上旬選挙には公明党が強く反対したこともある。
昨日の内閣不信任案提出は実は麻生さんが一番望んでいた節がある。与党内から謀反人が出て可決されれば解散すればいい、与党がまとまって否決してくれれば麻生降ろしは気勢を削がれる、いずれにしても麻生さんの手で解散となる、これが民主党の思惑であり麻生の読みでもあった。これだけ敵に愛される自民党総裁は見たことがない。解散予告の21日まで1週間を切ったので麻生降ろしのタイムアウトは近い。その間両院議員総会が開催されるかどうかが一つの焦点となった。
古賀さんの辞任は、東国原知事問題では党内で叩かれ、解散と投票日の日程では麻生、菅、大島の三人が古賀さん抜きで決めたのに、ほとほと嫌気がさしたのだろう。
自由民主党の名前は残るかもしれないが2009年は自民党が事実上崩壊した年として年表に記載されることになるだろう。
自民党はなぜこうなったのだろう。私なりに総括してみることにする。
竹下内閣まで政治の仕事は正の分配であった。「ふるさと創生事業」と称して3,300市町村(当時)に1億円をばらまいたのはその象徴であった。
だがバブル崩壊後税収が激減する一方で高齢化の進展により社会保障費は増え続け、金融機関の不良債権処理、景気対策としての公共事業等財政赤字は積上がった。
従って、平成以降の政府の仕事は負の分配(増税、教育費負担増等国民負担の増大、福祉の削減など)に変った。
だが国民に不人気な、つまり選挙に不利な政策の実施は政治的に極めて難しいので財政赤字の累増を押しとどめることはできなかった。負の分配を行うにはよほど強い政治権力でなければできることではない。
一方リクルート事件を契機としていわゆる政治改革の機運が高まり、細川内閣では小選挙区制を中心とするいわゆる政治改革が実現した。この制度によって政党本位の政治が実現し、選挙公認権と政治資金配分権を有する執行部の力が増大するはずであった。だがわずかにこの制度を享受できた自民党総裁は小泉さんだけで他の首相はそうはならなかった。なぜそうはならなかったか。政治改革の狙いの一つであった派閥解消は概ね達成できた。中選挙区制下の派閥がやくざの組とすれば、今ある派閥など同好会程度である。政治資金を配ることも人事の斡旋もできない派閥など既往の派閥と同列に論じることはできない。
こうして派閥が事実上なくなったことは自民党の党首選びを大きく変えた。各派閥の離合集散によってではなく、「誰が一番選挙の顔にふさわしいか」が最大の争点となり、まるで美人コンテストのようになってしまった。こうした基準で選ばれた首相は必ずしも党内基盤は強くなく、十分な正統性をもてない。だから人気が落ちれば変えようという話がでる。往時吉田茂や佐藤栄作は国民的人気はさほどでもなかったが党内基盤は盤石であった。中選挙区制下では首相支持率と当選者数の間にさほど相関関係はなかったからである。
一方で米価支持政策を止めて農協の、医療保険給付を削減して医師会の、公共事業を減らして建設業界の、郵便事業民営化によって特定郵便局長会の支持を失った(これらはいずれもそれまで自民党の固い支持基盤であった)。
それをはっきり示したのが2年前の参議院選挙の結果であった。あの選挙結果の背景にはもう一つ地方の衰退がある。私は「疲弊」と謂わず衰退という。一頃「地方の時代」と言われたことがある。だが「痴呆の時代」は来たけれど「地方の時代」はついに来なかった。それどころか東京と地方の格差は拡大する一方である。
では小泉郵政選挙で自民党が大勝したのはなぜか。政治改革では小選挙区制の導入と併せて一票の価値の不均衡を糺す定数是正が行われた。その結果浮動票の多い都市部が最も重要な戦場となった。小泉さんはその都市部の浮動票を集めるのに成功した。東京の小選挙区で自民党がほぼ完勝したのがそれを象徴している(24勝1敗)。だがこの間地方での自民党衰退傾向は変わらなかった。そして小泉ブームが去った前回参議院選挙で自民党が負けたのは不思議でもなんでもない。
小泉さんは「自民党をぶっ壊す」と言った。彼はその約束を立派に果たしたと言えるのではないか。
民主党が官僚政治打破をいう。それは大いに結構だが以下のような戦後政治史を念頭に入れたほうがいい。
岸、池田、佐藤という強い首相を戴いていた時期、官僚の士気は高く、綱紀も厳正であった。そして平成に入り短期政権が続き強い首相がいなくなると官僚の士気は低下し、綱紀は弛緩し(現職次官が二人収賄で逮捕)、政策的失敗(教育改革の迷走、年金、金融危機等)も増えた。
強い権力こそあらゆる改革の前提である。来月の総選挙で単独過半数を、来年の参議院選挙で単独過半数を得て初めて改革の条件が整う。
(ジャーナリスト 青木 亮)
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR