トップページ ≫ 社会 ≫ 魁傑と輪島が一緒にちゃんこを食べていた頃
社会
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日本相撲協会前理事長の先代放駒親方が5月18日に急死した。生真面目な人柄、そして不祥事続発で相撲界が激震に見舞われた際に理事長に推され、改革に真剣に取り組んだことを好意的に伝える報道が多かった。
彼すなわち力士・魁傑が大関昇進を決定づけた1975年初場所の直後に週刊誌編集者として彼が所属する東京・阿佐ヶ谷の花籠部屋を訪ねたことがある。取材テーマは相撲そのものではなく、新大関の食事だった。各界有名人の『胃袋パトロール』というコラムが連載されていたが、それをカラーグラビアにした拡大版だ。一挙に十数人の1日の食事を公開し、それを医事評論家の石垣純二さんが健康面からチェックするという企画だった。ご登場いただいた方々は巨人軍の長島新監督、作家の深沢七郎さんと山口瞳さん、飛鳥田一雄横浜市長、女優の島田陽子さん、タレントの堺正章さん、女子プロレスのマッハ文朱選手など、みんな忙しい中をよくぞ撮らせてくれたものだ。
花籠部屋には朝稽古が終わる前に熊切圭介カメラマン、助手とともに出向いた。当時、部屋は隆盛をきわめていた。横綱の輪島をはじめ、龍虎や荒勢など人気力士がそろっており、稽古場も熱気に満ちていた。ただ、輪島この時期、調子を落としていて、素人目にも精彩を欠き、注目の的は魁傑だった。
取材に関しては親方の了解を得ていたが、大関には事前に直接の連絡はしていなかった。稽古が終わったところで本人に取材の用件を伝えると、「食っているところを写真に撮るのかあ」と気が進まない様子だった。拒否はしなかったので、力士たちが複数のちゃんこ鍋を囲んで食べ始めるのに合わせて撮影も始まった。途中で特に注文がつくことはなかった。隣に横綱が座っていたので気遣いもあったようだ。2人は同い年で日本大学でも同期、相撲(輪島)と柔道(魁傑)でともに将来を嘱望されていた。花籠部屋の強引なスカウトにより大学を1年で中退して入門した魁傑のほうが兄弟子になる。
後に輪島が花籠部屋を引き継ぎ、魁傑は独立して放駒部屋を開くのだが、輪島が年寄名跡を借金の担保にしたことが発覚して廃業せざるをえなくなり、花籠部屋の力士全員を放駒部屋が引き取るという事態になった。2人をめぐる数奇な運命は、この時点では誰も想像できなかった。
撮影が終わり、礼を言うと、「夜は部屋の若い人たちと一緒に食べるから」と言って、その場所や時間を教えてくれた。この対応にホッとするとともに、魁傑人気の一因を知った思いだった。
1日の食事は稽古後のちゃんこと夕食の2食で、この日の夕食はすき焼きと焼き鳥と生野菜、ご飯3杯。飲み物はビール2本とトマトジュース2本。石垣ドクターの診断は「お相撲さんはほとんどみな、太り過ぎによる糖尿病で若死にしています。引退したら2年がかりで50キロお痩せなさい」だった。当時、身長188cm、体重130kgだった。たしかにその後、糖尿病を患い、ずっと相撲診療所に通っていたという。
奇しくも、葬儀のあった5月24日に、浦和で故人のエピソードを聞くことになった。ワシントンホテルで開かれた早稲田大学OBの会合にゲストで招かれたのが、元・文化放送アナウンサーで大相撲担当が長かった大野勢太郎さん。放駒部屋の大乃国が優勝した時の祝賀会での目撃談だ。有力後援者が厚い包みを親方に手渡した。親方はそのまま包みを大乃国に渡したら、後援者は「包みには300万入っているけど、普通は親方が200万抜くもんだよ」と呆れていた。しかし親方はこう言ったという。「協会から力士養成費とかもらっていますから」。これには後援者も大野さんも2度ビックリ。
このような人だからこそ、相撲界最大のピンチの時に、引き受け手のない理事長職に就いて、金銭問題を含めて古い体質の協会の改革に孤軍奮闘することになったのだろう。その時の苦労と糖尿病が寿命を縮めたようだ。
(山田 洋)
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