トップページ ≫ 社会 ≫ 6月は「こころの旅路」を辿って~西会津 大山祇神社への道
社会
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どんな願い事でも聞いてくれる神様があると言ったら、はたして信じてもらえるだろうか。そんな話なんか絶対に信じないと言われるのがオチだろう。しかし、この話を裏付けるように、今年も大勢の参拝者で賑わう神社が西会津の山里にひっそりと実在している。
この神社は首都圏から離れているせいか東京や埼玉では話題に上る事はないのだが、福島や新潟の地元では昔から「なじょな願いもききなさる野沢の山ノ神様」として人々の信仰を集めている知る人ぞ知る神社なのである。どんなに世界が変わろうと、どんなに時代が移ろうと、この山ノ神のご利益を授かった人々の口から伝えられた話が現実味を帯びて各所に拡がり神話化されて、今日のような隆盛に至ったのだろう。
毎年6月1日~30日の春季例大祭(大山まつり)には御礼参りの参拝者たちと、この神社の噂を聴いた新たな祈願者たちがどっと押しかけ、さらに大賑わいなのである。普段なら通行車両などほとんど無い山道にも、この時期は地元警察で路上駐車はレッカー移動するとの警告を張り出さなければならないほど多くの信者が押し寄せているのである。
この神社の話を聞いたのは90年代の終わりであった。ある酒席で夫に代わって事業を切り盛りしていた方からだった。ちゃきちゃきの江戸っ子で信仰や宗教とはおおよそ無縁の女性実業家である。いろいろな悩みを抱えていた身だったので興味深い思いでこの話を聞いた。それが、この大山祇(おおやまずみ)神社を知るきっかけであった。その時に絶対に6月に行かなければダメですよと言い渡され、さらに詳しく場所を聞いた。耶麻郡西会津町で新潟県境の近くで最寄りの駅はJR野沢駅(磐越西線)である事、駅から車で15分位かかる事などを聞いた。ちなみに車だと磐越道を西会津ICで降りて10分程度である。
会津地方には何度も足を運んでいるので結構精通しているつもりだったのだが、この大山祇神社は知らなかった。この西会津も柳津町の福満虚空蔵菩薩(郷土玩具赤ベコの発祥地)と西会津町の鳥追観音をお参りした事もあったし、西会津町自慢のひめさゆり(西会津では「おとめゆり」と称している)の群生だって楽しんだ事もあるほどで、ともかく会津には数え切れないくらい通ったのである。南会津の伊南川で鮎つりをし、鶴ヶ城の満開の桜も雄国沼のニッコウキスゲも会津本郷伊佐須美神社の菖蒲も喜多方のラーメンも楽しんだくらいで知り尽くしていたつもりだったのだが、この神社の存在だけは知らなかったのである。こんな思いが伏線だったのだろう、この酒席の会話がきっかけとなって大山祇神社に惹かれてゆく事となってしまった訳である。
初回は車で関越道を小出でおり、国道252号を田子倉湖へ向かう六十里越を走った。只見町で思いがけず戊辰戦争で長岡藩を率いて戦い会津へ逃れる途中で没した河井継之助の墓(記念館も併設)を目にしたので、この英傑に心から手を合わせた事を良く覚えている。
これ以降、毎年六月には車で大山祇神社詣でを続けている。大震災以降は東北道はやめて関越道新潟回りなのだが、今回、この大山祇神社へと続く道こそが心の旅路そのものだと気づいたのである。参拝以外の予定は何も入れない。宿も食事も立ち寄りも全て成り行き任せ。赴いた先で自然と楽しむ。この大山祇詣でこそ自分自身を試す絶好の機会であると思ったからである。今年は新潟市の西堀通りにある名門ホテルのイタリヤ軒に宿をとったが、お陰で古町通りのお店で素晴らしい料理と酒を堪能できたし、翌日は翌日でさらに新たな発見もあったりして、大山祇参りが年々と奥深い楽しみになっていくのがとても嬉しく思えてならないようになってしまった。祈願も最近では健康に過ごせる事への御礼と併せて日々の平穏を祈るくらいの平凡なものなのだがこれで充分に満足なのである。
今まで大山祇神社の事は誰にも話さずに自分の胸にしまっておいたのだが、思い切ってここに披露した。願い事よりも六月には毎年必ずお参りする事によって、また心新たに日々を暮らせるようになる、この事が一番大切だと考えるに至ったからなのだ。
大山祇神社に向って走る道は私にとって心の旅路を辿っている。
( 仁 清 )
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