トップページ ≫ 社会 ≫ 「リレー・フォー・ライフ・ジャパンさいたま」の意義~がんに負けない社会づくりに向けて
社会
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「リレー・フォー・ライフ」運動とは、がん患者と家族、そして支援者たちが公園やグランドをがん征圧の願いを込めて24時間交代で歩き続け、絆を深めあう寄付イベントである。 発祥の地はアメリカで、1985年ある医師が、がん患者を励まし、対がん運動組織へ寄付することを目的にフィールドを走ったことから始まったそうだ。その後、参加者がリレー方式で24時間歩きながら寄付を募るスタイルが定着し、現在は全米で約5500か所、世界20か国で開催されている。今年、日本国内でも40か所以上で開催され、埼玉県内でもさいたま市、川越市で開催され、大いに盛り上がった。
本紙は、9月14日(日)~15日(月)にさいたま市緑区の農業者トレーニングセンターで開催された「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2014さいたま6th」に密着した。
14日正午、さいたま市消防音楽隊の演奏をバックにウォークがスタートした。先頭はサバイバー(がんと闘う患者さん)のグループ、それに各チームが続いた。大会会長である清水勇人さいたま市長もウォークに参加し、参加者を励まし続けた。ステージでは埼玉県エアロビック連盟によるエアロビクスや、「手話ダンスサークル手をつなごう会」による手話を交えたダンスパフォーマンス、その他合唱や弾き語りなど、盛りだくさんな内容で、歩いている人たちを楽しませていた。また、日本対がん協会「ほほえみ大使」であるアグネス・チャン氏も駆けつけ、参加者を励まし、がん撲滅に向けた意気込みを語った。トラックを周囲に設置された各テントでは啓発活動や物販が行われ、参加者同士の交流の場としても活用されていた。夕方6時にトラックに沿ってルミナリエが点灯し、幻想的な雰囲気が会場を包んでいた。8時、どうしても24時間歩くのが困難なグループから「歩きめです隊」へタスキの委託式が行われ、9時にステージパフォーマンスが終了した。静寂に包まれた会場だったが、参加者は歩き続け、各テントでは深夜までおしゃべりの輪ができていた。
翌15日は、タスキの返還式からプログラムが再開され、ステージ上では再びパフォーマンスが始まった。夜通し交代でトラックを歩き続けている各グループは、さすがに疲労の色を隠せないでいたが、さいたま市南区を中心に活動中の「ボランティアグループ一歩会」、居酒屋力の従業員有志で構成された「チーム力」、浦和大学の学生有志、「Facebookグループさいたま市」、埼玉県立大学看護学科有志で結成された「チーム県大☆看護」、埼玉県歯科技工士会など、笑顔で励まし合いながら、正午のゴールをひたすら目指していた。
正午にウォークが終了し、閉会式が始まった。柏浦惠子大会実行委員長(埼玉県立がんセンター副院長)の挨拶に続き、参加者全員による「手のひらを太陽に」の合唱は、フィナーレにふさわしい、感動的なものだった。
さいたま市は6月「さいたま市がん対策の総合的かつ計画的な推進に関する条例」が成立し、これからがんの予防、緩和ケア、在宅療養など様々な視点からのがん対策が進んで行く。その中で「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2014さいたま6th」が開催されたことは意義深く、今後ますますがんに対する理解が深まり、患者に対するする支援の輪が広がるきっかけになったことは間違いない。来年も「リレー・フォー・ライフ・ジャパン2015さいたま7th」が無事開催され、「がんに負けない社会づくり」構築の一翼を担う存在であってほしいと願う。
(直木 龍介)
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