トップページ ≫ 社会 ≫ 総選挙(2)「一度、民主党にやらせてみれば、駄目だったら元に戻せばいい」について考える。
社会
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無党派層の風が「政権交代」に向かっているとされる今回の総選挙は、安倍・福田と続いた政権の投げ出し、麻生政権を含め三代続いた国民の審判を受けずに首相交代をしてきた自公政権に対して、民主党が「政権交代」キャンペーンを継続して今日に至った結果であろう。曰く「政権交代準備完了」の黄色の縁取りポスターは全国津々浦々に張り出され、そのインパクトは大きい。有権者は無党派層に限らず、自公の支持者の中にまで一度交代してみても良いかと思うものも現れるにいたって、各地の首長選挙、都議会選挙にその傾向は強く出た。特に都議選においては、選挙区に何の縁も無く、数ヶ月前、極端な候補者は一週間ほど間に民主党から公認されただけで当選してしまったのだから、行き過ぎもはなはだしい。地方議員の責務のひとつとして、地域住民の要望や声を都政に反映させるという肌理(きめ)の細かい作業が含まれる。地元で生活をし、地元の事情をそれなりに把握し、その解決方法や手段を日ごろから問題意識としていなければならないはずだが、冷静に観察すると新議員のなかには果たして役に立つかどうかおぼつかない者も多数見受けられる。今回の結果は民主党であればなんでも期待できるであろうという津波みたいなもので、一気に増員した都議会民主党会派の運営は困難を極めるだろう、現に混乱しているのではないか?手放しで喜んで入られない。何しろ思い付き立候補にも等しい素人も含まれているのであるから。
さて今日までのさまざまな選挙結果はまさに自民党への逆風、民主党への追い風であることは、全マスコミ関係者の共通する認識である。民主党の政権交代に対する選挙戦略も功を奏した。一時的なブームではないと見る向きもある。事実本来であれば自民党の伝統的な支持基盤である医師会、農協、商工業団体、特定郵便局長会等々の中にも一度政権交代してみれば良いと思い始めている。しかもここ2・3年ほどの間にこの思いは広がりを強めた。民主党候補予定者は自らが当選することによって政権交代は実現すると声を大にし、自民党は防戦一方になっているのだ。
しかしながら、政権交代を望む有権者の中に「一度政権交代をして駄目ならまた元に戻せばよい」という考え方の人々が居ることも事実である。政党による政権の交代が国民の生活をよりよいものにするはずであるという幻想にも似た思いは、現状の政党において可能か?
自公政権が部分的機能不全に陥っていることは誰しも認めるところで、特に官僚主導型の遣りたい放題には愛想を尽かしていることも事実だ。さらに有権者を対象としたアンケート調査を実施すると、天下りの根絶を希望する回答が必ず最上位を占める。
民主党の候補予定者の中には堂々と「政権交代を果たし、駄目ならまた元に戻せば良い」と公言してはばからない「互いに切磋琢磨して交代すれば良い」などと稚拙なことを言っているものも居るが、本当にそれでよいのか?
本来、有権者の最大公約数的な政治が行われるならば激変はありえない。有権者の政治に対する期待が今日のように揺れ動いているところに国民の政治意識の低俗さがあって、それに甘える政治家にはリアルタイムで有権者の意識を汲み取ろうとする努力と見識に欠ける。民主党は国旗掲揚、国歌斉唱に反対する日教組を抱え、硬直した自らの体質に何の疑問を持つことも無く、前例をひたすら踏襲しようとする労組の組織に頼っている現状を直視すれば、民主党政権が国民の声を反映して、長続きするとは到底思えない。つまり、政権交代によってわが国の繁栄を維持させるほど、現状の政党は成熟していないのではないか。政治家も人の子である以上、感情も義理も人情も抱えているだろう。しかしいま冷静に対処すべき様々な政治課題は自公政権も解決することができなかった。民主党にも期待できない。要は大胆にわが国の行く末を明確に示し、国際社会の中で如何に国民を守っていくことのできる政党の出現であろう。切に政界の大再編を望む。
次回、直前選挙区情報につづく。
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