トップページ ≫ 社会 ≫ 中身濃いさいたま市誕生の歴史書~新藤亨弘旧大宮市長が「さいたま市誕生知られざる真実」刊行
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
大宮市最後の市長として、さいたま市創設に尽力した新藤亨弘氏が、遂に激白!
大宮市の助役として、「埼玉中枢都市圏構想」(のちのYOU And I プラン)に深く関わり、市長に就任してからも、合併、そして政令市誕生の先導役として、県や周辺首長との調整に奔走し、常に「反新藤グループ」に翻弄されながら任務を遂行した、新藤氏の足跡が記されている。
「政治は主義主張じゃない、人間関係だ」
常にそう叫び続けた新藤氏だったが、合併の枠組みを巡って、様々な思惑が入り交ざり、野望を持った人々が跳梁跋扈するドロドロした政治の世界の中で、ひたすら耐えに耐えて任務を遂行したことは評価されていい。
反新藤の急先鋒であり、ボス的存在だった斉藤清治元市議に巧妙に動かされた鶴崎敏泰、芝間衛、松本敏雄各市議が推進協議会の役員に就任してから、反新藤運動は、ますますエキサイトすることになる。新藤氏は「困った三人組」と呼び、その傍若無人ぶりに困惑する様子も描かれている。
さいたま市誕生から14年経ったが、未だに燻り続けている大きな問題がある。それが「大宮対浦和」という地域間対立なのである。大宮が主張する二市一町(大宮・上尾・伊奈)が先行合併し、後に浦和と与野が合流するという所謂「四市一町論」に対し、浦和が主張する「三市論」の攻防が合併後にも影響が残り、さいたま市誕生後の市長選挙によって、決着が図られることになったのだ。結果は旧浦和市長の相川氏勝利だったが、ますます大宮と浦和の溝が深くなってしまったのは事実である。現在でもその影響は残り、「大宮対浦和」は、さいたま市発展の大きな障害になっているのだ。この1冊は、新藤氏の足跡が記されているが、同時に、現市政に対する問題提起の書でもあるのだ。
(直木 龍介)
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