トップページ ≫ 社会 ≫ 打破すべき官僚政治とはなんだろう?
社会
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国会で審議される法案の大部分は政府提出(官僚製)によるものであり、議員提出法案は1%にも満たない。国会議員に法案作成能力はない。そもそも法案作成の前提となる基礎的データをもたない。法案作成能力のない議員に国会で的確な質問をする能力などあるはずがない。したがって野党議員すら、国会でどんな質問をしたらいいのか官僚に聞きに行くという体たらくである。
某若手大蔵官僚が衆議院選挙にでるため上司に辞表を提出したところ、こう言われたそうである。「われわれが政治家を使っているのであって、政治家がわれわれを使っているわけではない。君はどうして使う側から使われる側に代わりたいのか」と。このエピソードは、官僚が政治家をどう見ているか雄弁に語っている。
議院内閣制の理念型では、多数党の議員が大臣として政府を構成し、官僚はその大臣の施政方針に従う。ここでは本来大臣優位(政治家優位)であって官僚優位ではない。だが日本の議院内閣制の実態はこれとはまったく違う。
自民党はその保守合同という誕生の経緯からして実質的には保守連立政権であった。したがって、憲法がせっかく首相に閣僚任免権を与えたにもかかわらず、各派の意向を無視できず、その推薦をまって閣僚に任命するのが慣行となった。各派の大臣推薦リストは、派内宥和を旨とし、年功序列を優先するため本人の能力適性などお構いなしに作られるため、当選歴5回おおむね15年も議員をやればだれでも大臣になれたのが自民党単独政権時代の実態であった(7回当選しても大臣になれなかった浜田幸一氏は例外)。こうした政治風土の中で任命された大臣がその部下である官僚に対し、権威をもって臨めるはずがない。
しかも戦後保守政治の骨格をつくった吉田首相は、自身外務官僚であったこともあり、政党人よりも官僚を信頼する傾向がつよく、高級官僚を多数政界にリクルートした(池田勇人、佐藤栄作等)。その傾向は吉田以後の自由民主党時代にますます強まり、かれらは出身官庁のため第5列として活動する(いわゆる族議員)。
各省庁の予算割合が固定され1%も動かせないという財政硬直化がいわれて久しい。その背景にはこうした各省庁の応援団としての族議員の蠢動がある。財政硬直化のもう一つの背景には事務次官会議の存在がある。事務次官会議をパスしたものしか閣議に上程されない。ここでは全会一致主義つまり各メンバーが拒否権をもつ。ということは各省庁の既得権を侵す改革はできないことを意味する。
事務次官会議で実質的な政策論が交わされ肝心の閣議と言えば形骸化が甚だしい。
現行法のもとでは、通常閣僚は各省庁の長として、内閣に列する(ごく稀に、無任所相が置かれることがあるけれども)。そのため、各大臣は広く国家的な観点から政策を論ずるよりも、自分の官庁の役人の振り付け通り、その省庁の利益代表として振舞う。
そのうえ、各閣僚はしっぺ返しを恐れて自分の所管事項以外について発言することはほとんどない。これでは一体何のための閣議か。この点、明治政府初期の参議のように特定省庁にとらわれることなく(官僚制度が整っていなかったこともあるが)国政全般について発言する閣僚で政府を構成する形も考えられてよい。これには憲法改正は必要でなく内閣法等の改正だけでできる。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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