トップページ ≫ 社会 ≫ 天皇と中国要人との会見を巡る問題
社会
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新聞テレビ雑誌を見ても、この問題を巡る関係者の発言について的を射たコメントにお目にかからないので取り上げることにする。
民主党小沢幹事長の発言「天皇の国事行為は内閣が決定する(助言と承認)と憲法に規定がある。だから内閣の決定に対しその一部局の長が批判がましいことを言うのはけしからん」。
一見もっともらしいが実は法律論としては成り立たない。外国要人と会うのは天皇の国事行為ではない。天皇の国事行為は第七条列記の十項目に限られる。その中今度の問題に関連するのは第九号「外国の大使及び公使を接受すること」だろう。ここにあるのは「外国の大使及び公使」であって習近平氏はどれにも当てはまらない。第九号から類推解釈できるという論者もいるかもしれない。だが七条の国事行為は限定的列挙であり類推解釈は許されないとするのが通説である。
そもそも天皇の公務には憲法の国事行為以外にもいくつかある。国会開会式に臨席しお言葉を賜り、或いは「大使公使」以外の外国要人に会うのは、象徴としてのある種の公的行為と見るべきであって憲法が規定する国事行為ではない。小沢氏には国事行為であるとの思い込みがある。
次に羽毛田宮内庁長官の発言「①陛下の体調に配慮して一ヶ月ルールがあるので遵守してもらいたい。②大国も小国も平等に扱われるべきで、大国だからといって特別扱いすべきではない。③天皇を政治的に利用すべきではない」。
① 陛下の体調が心配なら、公務を制限するのではなく別の手立てを考えるべきだろう。例えば摂政の活用、生前退位制など。但し現行皇室典範の摂政を設ける条件は「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」と極めて厳格であるので今の陛下には当てはまらない。もっと要件を緩和することが検討されていい。
天皇の終身在位制と「一世一元法」は高々明治以後百数十年の歴史しかない。それ以前にあった生前退位制の復活も検討されていい。長命の今の時代に終身現役であることを強いるのは残酷であろう。
「摂政要件の緩和」、「生前退位制」のいずれも皇室典範の改正だけで可能であり憲法改正の必要はない。摂政をおいた例は大正末の一時期あった。
② 大国も小国も平等に扱うなど不可能、偽善的その上有害だ。人口13億の中国と、3万人余のリヒテンシュタインを同じように扱うことなどできやしない。人と人との関係に自ずから親疎があるように国家間の関係にも地理的歴史的関係から自ずから親疎があり重要度に差がある。もし某国が「中国には認めてわが国には認めないのですか」とクレームをつけたら「その通りです。貴国と中国を同格に扱うことはできません」と突っぱねればいい。
国連だって大国(尚且つ前大戦の戦勝国)には安保理事会の常任理事国として特別の発言権が与えられているし、国連分担金も国の規模に応じて違う。それを「すべて平等に負担しましょう」などと言ったら小国が迷惑する。厳然としてある大国と小国の区別に目をつむるのは偽善的だ。
③ 天皇の政治的利用の問題。
憲法が「象徴」という一種の国家機関として規定した以上、天皇の行為がなにがしか政治的意味をもつのは避けられない。天皇の行為から完全に政治的意味を払拭したいのであれば現憲法第一章「天皇」を削除し、併せて千代田城から京都御所にご帰還願い祭祀に専念してもらうことだ。
今回に関する限り、この問題をもっと正確に言えば「日本政府は中国の政治的思惑に手を貸した」。中国では「胡錦涛の後継者が誰か」なんてメデイアが自由に報道することなどできない。習近平氏が陛下にお会いしたことは中国国内でも大きく報道されたはずだ。そうすることで後継者は習近平氏だと暗々裡に国民に告知し併せて国威発揚(中国は元首でも大使でなくても天皇に会える)を自国民に宣伝するのである。
冷戦華やかなりし頃、レーニン廟上で或いは天安門上で要人が並ぶ位置によって権力の所在を国民に知らせたものだが、中国要人の外国での動静報道はそれに代わる役割を果たしている。
結論、小沢、羽毛田両氏の発言ともいただけない。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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