トップページ ≫ 社会 ≫ いま日本は滅びつつある(第5回) -母なる日本の胎内に戻って出直そう-
社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
かつての日本と日本人は、国としても民族としても質が高かった。
外交評論家 加瀬 英明
私たちが最終的に頼りにできるのは、日本民族しかない。
江戸時代の日本は世界のなかで、もっとも徳性が高い社会を形成していた。日本は天然資源を欠いた国であるのに、日本だけが十九世紀後半に有色人種のなかで近代化に成功し、たちまちのうちに世界の一流国に伍することができた。徳こそ日本の国富であった。ところが、この唯一の資源を食い潰すうちに、今日の惨状を招いた。
先日、私は丸の内のビル街にあるエルメスの店に入った。友人がエルメスのベルトを贈ってくれたが、長すぎたので切って貰うためだった。
そのときに、私はヘルメスについて考えた。エルメスはヘルメス・メリスメギストスであって、ギリシアの分別と知恵の神として、完成へのプロセスを司っており、ヨーロッパに近代科学をもたらした錬金術師が崇めた。フランス語ではエルメスとなる。
1957年にソフィア・ローレンとクラーク・ゲーブルの主演で『イルカに乗った少年』という映画があった。主題歌の歌詞が「青い深いギリシアの海に眠る少年。イルカに乗ったその少年が目を覚まして、いつの日か浮かび上がり、願いを叶えてくれるという。わたしたちのために、早く目を覚ましておくれ」といったもので、いまでも流行(はや)っている。
もとはギリシア民謡で、ヘルメス・トリスメギストスを歌ったものである。神話のヘルメスは亀に乗っているが、映画の少年はイルカにまたがって、深い海の底で目覚める日を待っている。
日本は性急に西洋化をはかって、西洋の模倣に努めるあまり、私たちのなかに住んでいる日本人と敵対するようになった。近代化と西洋化を混同してしまったために、社会にさまざまなひずみができた。私たちは江戸期の日本人と、和解しなければなるまい。江戸時代から明治にかけた日本の生活文化を、再評価すべきである。
日本人の心の深海に眠る少年が目覚め、私たちの力を甦らせるのはいつのことだろうか。その前にさまざまな竜や魔人をやっつけなければなるまい。
伝統は案外、機能的なものである。文化には形があるが、いまの日本人は古臭いといって斥けている。日本の精神文化のもっとも大きな特徴は、ものごとを善悪や損得によらずに、心の働きから行動まで美しさによってはかってきたことである。視覚的にも瑞々(みずみず)しさや、清々(すがすが)しさが求められた。
日本の伝統建築は外容と内容が一致している。そのために二十世紀にはいってから西洋のブルーノ・タウトや、アドルフ・ルーズ、リチャード・ジョセフ・ノイトラをはじめとする建築家に衝撃を与えて、今日の世界の機能的な住居やビルが生まれた。
従来の虚飾を廃した新建築運動の始祖となった、シャルル・エドュアルド・ル・コルビュジェが、「形は機能に従う」という言葉を遺している。伝統文化は機能的なものなのだ。六本木ヒルズの森美術館が、ル・コルビュジェの絵画を所蔵している。
私はキリスト教の信者ではないが、聖書のなかに心にひっかかる一節がある。ニコデモという学者がイエスに、「あんた、新しくもう一度生まれなさいっておっしゃるけど、いったい全体、よいトシをしたこの私が、もう一度おふくろさんの腹のなかに入って、出てくるわけにもゆかんでしよう」と質問する。
すると、イエスが「水と精霊によって洗礼を受けなければ、新しく生まれることはできない」(ヨハネの福音書)と答える。水と精霊とはさておいて、母の胎内に入って出直すというイメージは、私たち日本人にとって妙に生々しい揶揄である。
私たちはもう一度、母なる日本文化の胎内に入り、冷静に見きわめ、勇気をもって再び躍り出ることが必要である。そうすることが可能であるならば、私たちはそのときにまともさと活力を取り戻すことになろう。(終わり)
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR