社会
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殺人罪など最高刑が死刑相当の凶悪事件の時効制度廃止が昨日の法制審議会で決まり今国会での成立がほぼ確実となった。
以前は殺人事件の時効は15年であり、民法の不法行為時効が20年であるのに対しバランスを失しているとの批判があり(刑事罰を科すことができなくても民事上の損害賠償請求ができた)近年25年に延長されたが世論の時効制度批判の高まりを受けたものである。
そもそも凶悪犯が一定時間の経過により罰を免れることに釈然としない方も多かろうがこれは一面では冤罪事件を防ぐためでもある。
どういうことかと言えば、例えば2010年2月9日某所で殺人事件が発生したとする。30年後の2040年、あなたがこの事件の容疑者として逮捕されたとする。30年前の2月9日のアリバイを証明したくても、近親者の葬儀や結婚式などよほど特別の日でもなければむずかしい。有利な証言をしてくれるはずの人は既に死亡しているかもしれないし或いは記憶をなくしているかもしれない。つまり検察側主張に対する反証が極めて困難となるので冤罪につながりかねない。
だが足利事件がそうであったように近年のDNA鑑定法の著しい進歩によってはるか昔の事件でも確実な証拠(容疑者の不利にも有利にも)が得られる可能性がでてきた。これが時効制度見直し論の背景にある(DNAであれば長期間保存するのも容易である)。
ただその場合事件から一定期間以降は採用できる証拠をDNAに限定すべきだろう。
これに関連して以下拙文「日本国憲法論」の一節から引用する。
死刑の執行があるたびに死刑廃止論者が法務大臣に抗議するけれども、これはお門違い。なぜなら、法務大臣の職責は確定裁判を忠実に執行することであるので、その執行を怠ればその方が問題だろう。刑事訴訟法第475条と第476条で死刑の執行時期が明記されているにもかかわらず、この条項が守られることは少ない。むしろ厳正にその時期を遵守すべし。そのほうが死刑囚に、長期の不要な苦悶の時間を与えなくてすむ。死刑廃止論は所詮立法論に止まる。この点においても私は死刑廃止論の亀井静香先生とはまったく意見を異にする。
そもそも刑事裁判の目的は、迅速に正義を実現し、因果応報、一罰百戒を万人に知らしめ、さらには被害者と遺族の怒り、無念の思いを慰謝するところにあるのではないか。にもかかわらず、戦後の判決及び犯罪者処遇の実態は、犯罪者の更生や社会復帰の可能性を重くみる教育刑的傾向が強すぎた。再犯、再再犯の事例が多いのは戦後の教育刑的思想の破綻を示している。刑罰はその犯罪自体に見合ったものであるべきで、被告人の更生の可能性や犯行後の情状を重視すべきではあるまい。反省や悔悟、被害者への弁償等を量刑の重要な資料とするのは刑罰の本質にそぐわない。それでは反省や悔悟、被害者への弁償が情状酌量のための手段に堕してしまう。刑罰の道義性と威嚇的、抑止的機能をもっと重視すべきではないか。
死刑の執行方法は、近代以前では、見せしめのため残虐な公開処刑が一般であったが、人権概念の進化とともに先進国では処刑は非公開となり、その執行方法も絞首、薬物、電気等人道的(?)方法に変わってきた。法務省は死刑の執行さえ、事前にも事後にも公表していない。彼らは刑罰の本質をどう考えているのか伺いたいものである。 以上引用
最近、法務省は死刑の執行を事後公表するようになったし、裁判で被害者遺族にも意見を述べる機会を与えるようになったのは犯罪者の人権重視から被害者感情重視へと転換したものとして喜ばしい。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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