トップページ ≫ 社会 ≫ 在日米軍は何のために存在するのか?
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普天間基地の移転問題もタイムリミットが近づいた。だが鳩山首相の性格では「快刀乱麻を絶つ」とは行きそうもない。例によって例の如く土壇場まですったもんだのドタバタ劇を演じることになるだろう。
鳩山さんに助言したい。一体米軍は何のために日本にいるのか、この根本にもう一度立ち帰ったらいかがですか。「日米安保条約があるから」とおっしゃる?では日米安保条約は何のためにあるのですか?日本の安全を守るため?だが在日米軍は外国からの武力攻撃に使用できるのは当然だが内乱鎮圧にも使用できる(日米安保条約第一条)。しかも「使用できる」のだから使用するかしないかは米軍の意思に委ねられている。嘗て自民党の金丸信は「在日米軍は番犬みたいなものだ」と言って「思いやり予算」を合理化しようとしたが、在日米軍は断じて番犬ではない。番犬であれば主人の命令が絶対であって番犬自身の意思が入る余地はないからである。番犬と言うのであれば「自衛隊の実態こそ米軍の番犬」というのが当っている。
内乱鎮圧に名を借りて米軍は出動できるのだから、戦前日本の軍部特に陸軍がそうであったように時の政府の死命を制することだって不可能ではない。こうした米軍の本質が国民にさほど意識されなかったのは歴代自民党政府がアメリカ政府に極めて忠実であったため、在日米軍の本質が顕在化しなくて済んだためである。必ずしもアメリカの意のままにならない民主党政権になって徐々にこの在日米軍の本質が顕在化しつつある。
在日米軍の意味は三つある。一つは日本防衛、二つは占領軍として講和条約発効後も日本を半占領下に留めおくため、そして最後はアメリカの世界戦略に奉仕するため。
基地移転問題に戻ると、日本防衛のためだけなら、アメリカは日本政府の意向を尊重すべきだし、「思いやり予算」は日本の国防予算の一部肩代わりとして合理化できる。
逆に、在日米軍は単にアメリカの世界戦略のために存在するのであり、それでいながら日本が基地の無償提供に留まらず費用負担まで行うのであれば(現状)、日本は独立国ではなく宗主国の意のままになるしかない。
鳩山さんは、移転問題で結論をだす前に日本は完全独立国か、半独立国かそれともまだ占領は継続しているかよく考えたほうがいい。占領がまだ継続しているのであれば「核密約」などと大騒ぎするのがおかしいということになる。
更に言えば、この問題を抜きにして憲法第九条を論じるのもナンセンスと言わざるをえない。
参考までに拙文「日本国憲法論」から一節を以下に引用する。
憲法前文「(日本以外の国はすべて信頼できるので、軍事力ではなく)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。
日米安保条約「日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生のときにおいて固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態(筆者注;武装解除)にある日本国には危険がある。よって日本国は、略、アメリカ合衆国との安全保障条約を希望する」。
この二つを対比すればよくお分かりいただけるだろう。憲法前文とそれと一体を成す第九条は日米安保条約によって修正されたのである。ここにあるように日米安保条約自体、連合国による日本占領及び占領政策の一環である新憲法制定の目的は日本の非軍事化にあったことを認めている。アメリカの武力によってわれらの安全を保持することにより「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」した国防に関する憲法の条規を修正した以上、日本の再軍備(警察予備隊、保安隊、自衛隊と続く)の合憲性、その行動範囲(海外派兵等)の憲法的限界などを論ずることになんの意味があるのだろう。
条約に対する憲法優位説など持ち出しても無駄である。現行憲法も日米安保条約も占領下(日米安保条約は占領の終了と同時)につくられたことを思い出してもらいたい。前文と第九条は連合国との条約的性格をもち、ポツダム宣言と降伏文書の延長線上あるとの解釈に立てば「後法(日米安保条約)は前法(現憲法の前文と第九条)を廃する」との法理によって矛盾なく説明できる。
(ジャーナリスト 青木 亮)
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