トップページ ≫ 社会 ≫ あらためて土屋氏を偲ぶ笑理涙の巨星
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2,000人を超える土屋義彦前埼玉県知事の葬儀。自民党と土屋家の合同葬儀はもちろん埼玉県でははじめての盛儀だった。生前の土屋氏がいかに傑出した人物であったか、大げさでも何でもなく、100年に1度しかでない政治家そして人間であった証左にほかならない。惜しい方を失ってしまったものだ。まさに巨星遂つとはこのことをいうのだろう。土屋氏は「巨」という言葉がぴったりの人だった。天においては巨星、地においては巨人、大海においては巨鯨等。
その巨人は一方において「笑理涙」を地でいった。土屋氏の無邪気な笑みは100万ドルだった。すいこまれる笑みだった。そして一方で頭の回転は秒速がつくぐらいの速さだった。物事を瞬間に判断し、決断する天才でもあった。また、何よりも大きな情の人でもあった。情に於いても「巨情」の人であったかもしれない。困っている人、悩んでいる人に出会ったときの氏は惜しみなく情を放出し、情で相手を包み込むことにためらいがなかった。時には大粒の涙をこぼした。
涙といえば、氏が権力に座をおり、孤独と憔悴の中に深く沈まれていた時、私は氏におもいきり声をかけた。「人は孤独なんです。そして非情の巷の中にうごめいているのも人です。先生のような方は二度と埼玉にはあらわれないと思います。県民は等しくそう思っているのですから自信と誇りを失わないで下さい!そして新しい出発をしてください。在野にあっても健在と実力を世に示すことこそ使命です」私は自分の言が理よりも完全に情に移り、高ぶる感情を抑えられなかった。
絶大な権勢をふるった帝王がポツネンとしてあたかも野分に吹きさらされてじっと耐え抜いている地蔵尊のように映った。木枯らしの吹き荒れるような音を私も聞いたような気がした。土屋氏の笑腺が大きく崩れた。その瞬間、たとえようのない大粒の涙が、ボロボロとこぼれ落ちてとまることをしらなかった。「大川さん、一生親友であってください!一番大切なのは友なんですよね」分厚い氏の手が、私の手の上に重なり、そしてその手が震え、私の手を握り締めてくれた。古今東西権力の高みに登ったものに友はいなかったと私は思った。国家を想い、埼玉県を想い、そして県民を愛し、政治という華やかな舞台で花形を演じ続けてきた千両役者の仮の姿のようにしか私には映らなかった。そうだ、この目の前の土屋氏の姿は幻なのだと思った。しかし、すぐその考えを自らひっくり返した。ここにこそ、人間、土屋義彦さんがいるのだと。
人生は二毛作、三毛作だ。次の舞台は例え権力の舞台でなくとももっと大きなしかけをもって、その計り知れないパワーを発揮していただきたい。・・・・・少なくとも私はそれを夢み念じた。
シャレがうまかった。今の知事は上田で、こっちは下田だ。地方より中央の政治家になりたかったから中央大学だ等々。選挙の応援を頼まれれば誠心誠意駆けつけて「私が本物の正真正銘の土屋です」と開口一番!「土屋さんは元気だ!」とみなが喜んだ。全国どこへでも駆けつけた。世界にも翔んだ。どこへ行っても万事の拍手を受けて、土屋氏本来の笑みがかえってきた。人はかくあるべきかを私は知った。
しかし、それもつかの間、土屋氏はペガサスのように天上へ駆け上って還らぬ人となった。今はどこを駆け巡っていらっしゃるのだろうか?エヘヘッヘ、ここだよ!ここ!あの茶目っ気たっぷりの声が、埼玉県中に聞こえてくるような気がしてならない。
土屋義彦氏を最後まで支え続けてきた夫人の栞さんは葬儀の挨拶文で記した。
“故人は53年間一筋に政治の道を歩み続けるという自分らしい人生を全う出来、この上なく幸せだったと思います。引退後も国際交流等の草の根外交に熱心に取り組むなど一時も休むことなく東奔西走の一生でした。「休むのは死んでからゆっくりと」が口癖で、多くの人々と交流しながら思索する仕事の姿勢は、終生終わる事がございませんでした。”
この短い数行の中に巨星土屋義彦氏の本来の姿がもっとも明確に記されている。
追記として、なお私が著した(埼玉の政界秘話)の中から土屋義彦氏を評した文をお伝えし、故人への追悼の言葉と変えさせていただく。
合 掌
主筆 大川修司
~大海の巨鯨は不滅(埼玉の政界秘話より)~
「百年に一度しかない政治家」とある人は言ったが、確かに今でもその人気は下がることをしらない。
静岡県の名門、旧制豆洋中学校を出て、中央大学へ。しかし、若いときには相当の辛苦の日々を重ねた。その苦労がすべて身になっていて、大正製薬の創始者で、参議院議員の上原正吉氏の秘書を勤めた。上原氏の奥様が才気活発の女丈夫、土屋前知事の叔母さんである。氏は頭脳だけでなく情の天才でもある。この人は勲一等を受賞していることからも解るように、『環境庁長官』をはじめとし、『自由民主党の参議院の議員会長』、『参議院議長』、『埼玉県知事』、『全国知事会会長五期』などのきらめく要職を見事に勤め上げた。土屋氏が国政と県政で作り上げた実績は枚挙に暇が無い。今日われわれの生活に大きく関わっている埼玉県の新都心を始めとした壮大なプロジェクトは畑県政が練ったものも多いが土屋県政が実績として創りあげた。
土屋氏が自民党埼玉県連会長を務めていたとき、私は自民党第一議員団の事務総長として、幾度か土屋氏と会談をしたことがある。私は土屋氏の人格の高さと人間の大きさをその時ほど痛感した事は無い。土屋氏も私も『自民党を改革していこう!』という点で考えは完全に一致していた。ある時土屋氏が「私は全てあなたの言ってる事が正しいと思います。大いに改革しましょう」と言ってくれた。この言葉は私にとって当時の埼玉県の政治状況から判断すると考えられないほどの大きな衝撃であった。土屋氏は不幸にして、政治的情熱を燃焼し得ない所で知事をやめざるを得なかったことが悔やまれる。しかし、退いてからの土屋氏の人望と力は現職時代と勝るとも劣らない。例えば天皇家からの信望もいまだに厚く、園遊会にも必ず招かれ、また世界各国の政治家、王族とも親交が深く、今でも世界を飛び回っている。そういう中にあっても土屋氏の口癖は「私の心はいつも埼玉にあるんですよ。埼玉県民の人達の心は絶対に忘れませんよ」である。またいつも感心をすることだが、どんなに土屋氏の政敵であった人達にも必ずその葬儀には出席し心をこめてお線香をあげるその姿である。「人間はすべて恩讐の彼方に、ですよ。ぼくはやっぱり人間に大切なものは心だと思いますよ」と私に人の道を説いてくれる。数年前に『埼玉の政治家百人』の企画を土屋知事に相談に行ったとき、「これは埼玉で初めての企画で大変面白い。いくらでも応援しますよ。」と即、協力を約束し、実践をしてくれた。そしてその時の会話の中で「もし私のことがその本に載るのならば、ぜひ上原正吉のこともお願いしますよ。僕の今日あるのはみな上原のおかげなんだから」と言って人間の恩の大切さを教えてくれた。情と知。行動と理論。そして、まめさ。これらにおいて土屋氏の右に出るものは居ないと私は信じている。今、土屋氏を個人的な師として指導を受けている政治家や経済人は数え上げたらきりが無い。土屋氏は自らが最も敬愛する『吉田松陰』の言葉を身を持って実践している類まれなる政治家の達人である。また、ジョークとウィットに富んだ座談の名手であり、スピーチの名人でもあり、氏のスピーチは日本人に無いユーモアを駆使して必ず会場をわかせる。今なお、土屋氏の存在とメッセージ効果は絶大なるものであり、氏の動向は常に政治家たちの指針となっている。大魚は支流に遊ばず、を地でいっている人であることはまちがいない。
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