トップページ ≫ 社会 ≫ 田母神俊雄氏と村山富市氏のどちらが正しい?(上)
社会
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外交評論家 加瀬 英明
11月10日から15日まで、ワシントンで過ごした。東京より早い紅葉が、目を楽しませてくれた。
アメリカや、イギリスの新聞や雑誌が、日本がこれまで犯した罪を全く反省していないという視点から、航空自衛隊の田母神俊雄空将が「日本は侵略国家ではない」という論文を応募して発表したために解任されたということを取り上げていた。
田母神空将の論文は、「日本は侵略国家であったのか」という題だった。日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは、「すべて条約に基づいていた」と指摘して、日本は「蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」だったし、「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と主張していた。
さらに、田母神氏は「東京裁判はあの戦争の責任を、すべて日本に押し付けようとしているもの」と、説いた。「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」「多くのアジア諸国がなお大東亜戦争を肯定的に評価している」とも論じている。
私も論文を読んだが、細部についていくつかの事実の誤認があるものの、大筋においてまったく正しいものである。私は近代史を研究してきたが、日本をいわゆる日中戦争の泥沼に引きずり込んだのは、中国共産党だった。毛沢東主席が佐々木更三社会党委員長と会談した時に、「日本のおかげで、われわれが天下を握ることができた」と感謝したのは、よく知られている。
中国共産党が仕掛けた罠にはまった後に、中央の不拡大方針にもかかわらず、軍が戦闘を南京からさらに拡大したのは愚かなことだった。大陸における戦争熱を煽った新聞も、喝采した国民も、同罪だった。
日本はアメリカによって追い詰められて、対米戦争に立ち上がった。外交交渉がまとまらない場合に、対米戦争を辞さないことを決定した昭和16年9月の御前会議では、天皇は明治天皇の御製を記した紙片をとり出されて、「よもの海みなはらからと思う世に など波風のたちさわぐらむ」と祈るようなお声で、読み上げられた。近衛首相はその日、日記に「全員恐縮して、しばらくは一言も発するものなし」と記した。
天皇が御歌を読みあげられた後で、海軍の最高責任者だった、永野修身軍令部総長が発言を求めて、起立して次のように述べた。
「政府側の陳情によりますれば、アメリカの主張に屈服すれば、亡国が必至であるということでありますが、戦うも、また亡国であるかもしれません。
すなわち、戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れないとするならば、戦わずして亡国に委ぬることは、身も心も民族にとって、永遠の亡国になりますが、戦って護国の精神に徹するならば、たとえ戦いに勝たずとも、祖国護持の精神がのこって、われわれの子孫は、かならずや再起三起するでありましょう。
総帥部としては、先刻申しましたとおり、あくまでも外交交渉によって目的の貫遂を望むものでありますが、もし不幸にして開戦と決して、大命が発せられるようなことになりましたならば、勇躍して戦いに赴き、最後の一兵まで戦う覚悟であります」
東條英機首相が「清水(寺)の舞台から飛び降りる気持ちで、開戦を決意した」と述懐したことも、よく知られている。日露戦争の開戦に当たっても、同じことだった。これから侵略戦争を仕掛けようとする国家の指導者が、いうことだろうか。
(つづく)
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