トップページ ≫ 社会 ≫ 田母神俊雄氏と村山富市氏のどちらが正しい?(下)
社会
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今の時点から振り返って、臥薪嘗胆すべきだったということは、容易である。開戦時の東條内閣の東郷茂徳外相は芯からの平和主義者だったが、アメリカのハル国務長官の最後通告に匹敵した“ハル・ノート”に接して、「目の眩む思いがした」と述べて、開戦が避けられないと考えたと、回想している。
政府は村山富市首相が平成7年に終戦五十周年記念日に当たって、閣議決定に基づいて、日本が「侵略」や「植民地支配」を行ったことについて謝罪した談話に違反したということを根拠にして、田母神空幕長を解任して、退職することを強いた。「村山談話」として知られるが、その後の政権によって引き継がれて、日本政府の公式の歴史的見解となってきた。
村山談話は日本だけに一方的に罪を負わせた、東京裁判史観によるものだった。田母神空幕長が、「あの戦争の責任をすべて日本に押しつけようとした」と説いたのは、正しい。東京裁判は弁護人が連合諸国による行為を取りあげることを、いっさい禁じて、日本を断罪した。
田母神論文ではなく、村山談話こそ客観的な歴史事実を大きく逸脱したものだった。社会党の村山首相は、自民党が担いだ変種の首相だった。日本社会党は主義のために、自民党の閣僚たちは政権を維持するために、祖国に汚名を被せることを厭わなかった。
田母神論文の是非を論じることよりも、村山談話がいかに客観的な歴史を歪めたものであるか、問うべきである。日本政府が先の戦争について謝罪を繰り返してきたために、日本は狡猾残虐で恥しい国家だというイメージが、世界にわたって定着してしまった。
村山談話は閣議決定によるものでしかない。その内閣を拘束するものでしかない。
日本が独立を回復した昭和27年に国会はA級も含めて、いわゆる戦犯裁判によって、処刑、あるいは拘束された者を、戦死傷者と同等に処遇することを立法した。また、独立回復直後に、日本弁護士連合会などが中心となって、平和条約が戦犯として刑期を全うさせることを義務づけられていた者の即時解放を求める署名運動が、全国にわたって展開され、当時の日本の人口の半分以上の四千万人が署名した。
(おわり)
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