トップページ ≫ 文芸広場 ≫ 県政の深海魚(6)「山峡の詩人」
文芸広場
俳句・詩・小説・エッセイ等あなたの想いや作品をお寄せください。
H市の職員の大井は議会事務局のベテラン。議会運営に関する知識の生き字引だ。
大井は春彦の信奉者だった。時間が許す限り、春彦は大井から議会運営の知識を学んでいた。地方議会を制するには何といっても、地方自治法にたけ、会議規則を熟知することだと春彦の政治的感性は捉えていた。
革新党の議員達はよく勉強をしていた。
しかし春彦はその上を行った。春彦の政治的地位はそんな背景のもとで揺るぎないものとなっていく。
保守と言われる議員達は議会というものの深い勉強を、全くといっていい程、していなかった。
したがって、腹とは別に、春彦の意思に従うしかなかった。なぜなら、その方が楽だったからだ。
一方で春彦は、市役所の多くの課の職員と私的な勉強会を催した。政策に強くなることだった。勉強の後は必ず会食をした。杯を交わしながら彼らとの深い絆を作っていった。
金権政治は別として、春彦は囚われの身となっている仲間栄助前総理を尊敬していた。
学歴はない。
しかし、コンピューターのような頭脳とブルトーザーのような行動力、そして人間の弱さと哀しきを知り抜き、情と涙の量の溢れんばかりの豊穣さ。
また、何よりも日本の国家をしっかりと支えている官僚達への憎い程の気配り、彼らの存在への尊重心とリーダーシップ等、どれをとっても他の政治家を凌駕していた。
まさに天才と言っていい人物だった。
天才とは努力の天才のことだ。学歴のない彼の努力は、血のほとばしる程の凄さだった。
「笑・理・涙」の絵で書いたような政治家だった。
しかし、どんな偉大な政治家であっても権力を極めたものには転落という罠がいつも口を開けて待っている。
その罠という深い穴に落ちなかった者は、極少数の者だけという事も古今東西の歴史が立証している。
役人を尊重し、役人を使いこなすことにこそ政治の要諦があり、秘術のようなものがある。
春彦は誰よりも役人を大切にした。
彼らの器量を心から尊敬していた。
事実、春彦の私的な会話や議会での発言は役人達の心の琴線に触れ、快い響きとなった。勿論、適度の緊張度も含めて。
職員達と飲んだ後、春彦は久しぶりに「川路」という飲み屋に足を運んだ。
「よう、信濃総裁!」
詩人の小矢部が独りで酒を飲んでいた。
「相変わらず孤軍奮闘、ご苦労さんだね」
小矢部はかなり酔っていた。
「いいかい、信濃君。みんなの議員がついてきてるんだと思ったら大間違いだぜ。腹の底じゃ、この若造、と舌を出しているんだからな。人はみんな裏腹よ。あんたがどんな優秀だってそんなものは何でもねえんだよ。人間はね、感情なんだよ」
春彦は杯を持ったままだった。口をつけたら、この山峡の詩人の雷の一撃にあいそうだった。
「政治なんてね、みんな未完よ。行き着くとこなんかねえんだ。まあ、人生もな。寂しいもんだ。いいかい、あんたはもっともっと人生を噛みしめろ。噛みしめれば噛みしめるほど、人の悲しみがわかってくるんだ。それを超えるんだよ。超えると見えてくるものがある。そこからだな、一人前の政治家の端くれになるのはよ。ただし、超えるっていうのは至難の業よ。すげえ修行、大修行が必要だってことよ」
小矢部の口調は妙に優しかった。毒舌の裏に、春彦への想いが充分に満ちているように思えた。
春彦は初めて杯に口をつけた。
小矢部はボサボサの髪を掻き毟りながら割り箸の袋の裏に鉛筆を走らせた。
〝きのうのおもいのむなしく
きょうのねがいのかなしき〟
この簡易な二行が何故か春彦の胸を打った。小矢部の詩はいつも悲しかった。
そして人間の生のおぼつかなさを深く突いていた。
山峡の詩人といっても、中央の詩人の大御所、蔵原伸二郎の愛弟子だった。
藏原の詩は、幻想的なリズムを取りながらの東洋の精神を賛美した詩だ。
その藏原の詩はH市の山懐の碑に刻まれている。有名な詩だった。
〝野狐の背中に雪が降ると
狐は青いかげになるのだ
吹雪の夜を
一直線に走ってくるその影〟
程よく酒が回ったのか、春彦は二十年くらい前の情景を浮かべていた。
春彦の中学生の時、創立五十周年を記念して校歌の発表会があった。市長、県会議員、市議会議員の面々が居並ぶ中で、一人代表に選ばれた春彦が唄った。
〝入間の川の風さえ高倉あたり松光る
千古の岡もいまあらた
雄々しく立てる我が母校〟
藏原の作詩だった。
銀色といっていい白髪の藏原は感動して言った。
「君の歌は僕の心情をよく伝えてくれていて嬉しい。見事だったね」
藏原も紅潮し、春彦も紅潮した。
積乱雲のようなムクムクとした自信が春彦の心の中で湧いた。
〝夢は伸びゆく若人の
理想かかげてたからかに〟 か・・・。
現実に返った春彦は、二十年も過ぎ去った時間から紡ぎだすようにして校歌の詩の一節を思い出し、呟くように口ずさんだ。
三ヵ月後、詩人の小矢部は死んだ。山奥深く岩魚を釣りに行ったまま帰らぬ人となった。
あの時の小矢部の言葉は、春彦への遺言となった。
―― 一生とは何だ・・・全てが束の間ではないか・・・生の輝きとはその一瞬でしかありえない・・・一瞬こそ人の生だ・・・その一瞬に賭けるところに生の赤き輝きがある。
詩人小矢部の不慮の死は、春彦の心に大きな変化をもたらした。
―― 変化には自然に変化されていく意味と強い意志を持って自らを変化させていく意味の二つがある。だからこそ、その生を全うするまで不断の自己変革を成し遂げて行かなければならない・・・自分を良き状況の中で生き生きと存在させるためには、自分自身が変わって行かなければならないんだ・・・。
春彦は自分が一皮むけたような気持ちがしていた。
「山猫」という映画のシーンが浮かんできて、春彦の脳裏を満たした。
〝自分が真に生き残るためには自ら変わらなければならない〟
1800年代のイタリア、シシリア島の名門貴族の物語だった。
自らを変えていくことが出来ず、時代と共に没落していった貴族をバートランカスターとアランドロンが見事に演じたシネマ。
〝歴史の大きな歯車は、少数の人間の意志とは全く関係なく回転していく。その中で変わらず生き残るためには自分を変えていく以外にありえない〟
春彦はこのシネマの全てを自分に充てはめて、戦慄と興奮を抑えることができなかった。
(つづく)
バックナンバー
新着ニュース
- エルメスの跡地はグッチ(2024年11月20日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 秋刀魚苦いかしょっぱいか(2024年11月08日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR