トップページ ≫ 教育クリエイター 秋田洋和論集 ≫ 品格ある子どもの育て方第一章 「品格のある子ども」ってどんな子?(2)
教育クリエイター 秋田洋和論集
なぜ子どもに「品格」が求められるのか
~自分にブレーキをかけられるようにする~
子どもを消費者として捉えた大人たちの事情によって、否応いやおうなく15歳にして大人の文化に巻き込まれるようになったにもかかわらず、子どもたちの大人になるための準備期間については、特に注目された様子はありませんでした。
私たちの世代の中高生がすべて健全であった、などと言うつもりはありませんが、少なくとも私たちがかりに6年かけて学んできた準備を、彼らに3年で濃縮して学ぶように誘導してきた人はいなかったように思います。
したがって、十分な準備期間を経ないまま大人扱いされている人たちが、今の20代後半あたりから出現していると考えています。この準備というのは、単に社会のルールや常識を知ることに限らず、コミュニケーションスキルを磨くといったことも含まれます。私自身を振り返ると、
・言葉が持つ鋭さや怖さ
・他人への言葉の伝え方の難しさ
といったことを身をもって学んだのは高校時代でした。携帯などまったく夢の夢のまた夢といった時代のことですから、相手の表情や立ち振る舞いといった反応を通して多くのことを学ぶことができました。
それに対して現代のコミュニケーションツールには、携帯を中心とする文字によるやりとりが、かなり早い段階から大きなウエイトを占めています。携帯を使いこなす中高生たちに、コミュニケーションをとる際の怖さが十分理解できているのでしょうか?
もちろん個人差があることは十分承知していますが、私はどちらかと言えば理解できていないと思います。
私は、かつてパソコン通信の時代に、文字によるコミュニケーションを他人と図っていた時期がありました。まだインターネットが普及する前の話です。
私のスキル不足が原因だとは思いますが、文字のみによるコミュニケーションは大人同士であっても非常に難しいと言わざるをえません。
お互いの顔が見えない世界でのやりとりでは、もともと同じ目的で集まった仲間同士であっても、時にバトルを引き起こしたものでした。顔を合わせていればグッと飲み込むであろう一言も、顔が見えないことによってつい書き込んでしまうことがあります。
「夜中に書いたラブレターは絶対に出すな」ではありませんが、つい勢いに任せてしまうものです。自分自身でブレーキをかけるには、かなり強い意志が必要です。
現在、インターネットの掲示板などで匿名性をいいことに、あることないこと好き勝手なことを書き込む人たちの多くは、おそらく書き込まれた者の痛みにはかなり鈍感なのではないでしょうか。不用意に個人情報を載せてしまったりする人たちの多くは、そのリスクに鈍感なのではないかと考えます。
便利さを享受する一方で、そのリスクや他人に及ぼす影響に鈍感なのでは、道具を使いこなしているとは、とうてい言うことはできません。こうした道具を使おうとするのは「百年早い!」と小言のひとつも言いたくなってしまいます。
こんなことを言われているうちは、つまり自分自身でブレーキをかけられないのであれば、たとえ何歳であっても大人ではないということなのです。この例に限らず、飲酒運転や不正行為、成人式での騒ぎなどと、自分にブレーキをかけられない、大人になりきれない大人は、近年非常に増えているように思えます。
15歳で大人扱いされる子どもたちと、20歳を過ぎても子どものままの大人。大人と子どもの境界線は、ここ数年で急激になくなっているような気がします。大人よりしっかりして見える「○○王子」がもてはやされる理由の一端は、このあたりかもしれません。
「品格ある子どもの育て方(PHP文庫) 秋田洋和著」より
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