トップページ ≫ 社会 ≫ 社説 ≫ 立憲政治は健全な議会運営から
社会 …社説
9月19日土曜未明、安保法案が国会において成立し、集団的自衛権の行使が可能になった。この安保法案は改正10法案を束ねるなど関連の法案の多さや安倍首相の性急な審議の進め方など問題もあったが、違憲にこだわったり、戦争法案のレッテル付によって時間をかけたにも拘わらず中身のある審議をできなかった野党の責任は大きい。
違憲については集団的自衛権を行使可能にする解釈を解釈改憲について問題視しているが、9条については実質的に自衛隊法の成立や60年の日米安保条約の改定によって2度の解釈改憲がなされているという指摘もある。加えて、日本国憲法には第13条で国民の「生命、自由及び幸福追求の権利」を保証している。こちらの条文が最重要ではなかろうか。いまの国際情勢の中、国民の生命を守っていくには、他国に守ってもらうことを前提にした個別自衛権による安全保障体制ではなく、NATOのような集団安全保障体制をアジア太平洋エリアでの構築を目指すべきではないだろうか。
今回一番違和感を感じたことは「立憲主義」という言葉の使い方だ。昨年の社説(憲法記念日に憲法裁判所について考える)でも触れているが、内閣法制局という行政府の解釈変更自体なんら憲法への影響をあたえるわけではなく、最終的には民意が反映される立法府つまり国会での法整備が問題でなのである。それにもかかわらず、政党のトップが国会でなく、国会の外のデモで演説をしていることがまさに議会軽視ではないか。また解釈変更後に行われた昨年12月の総選挙という民意の意思表示が出ているにもかかわらず、デモを新しい民意という表現する発言が出てくるのは奇妙なことだ。さらにはテレビを通して露わになった、委員会、本会議でのドタバタ劇。このように議会が機能しないことこそが本当の憲法の危機、民主主義の危機だということを忘れてはいけない。
今回の安保法案も「わが国の存立危機事態」が起こったとき、国会で審議して集団自衛権の行使を認める限定的なものである。行使を認めるか認めないかはこれからの国会にゆだねられている。今後の国政選挙における有権者の民意、そして国会での議論・論戦が健全に機能しない時こそが、70年前のいつか来た道を繰り返すことなのだ。わが埼玉県においても9月24日から9月定例会が始まる。先の県知事選の結果をうけて、適切に議会の中で多選自粛条例を処理することこそが、議会人の良識だと思うのだが、いかがであろう。
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