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コラム …男の珈琲タイム
十年前、ふとしたきっかけで、名女将として有名な新潟のN女史の講演を聴く機会を得た。この日本特有のおもてなしのプロの存在に私のこころは揺さぶられた。
この日をきっかけに私は女将を取材し、「日本の名女将」を上梓し、その都度コラムを添えた。
以下、数回にわたり、この珈琲タイムに女将のコラムを載せてみたい。
女将考
一体、この〝女将〟という言葉は、どこからきたのだろうか?
広辞苑ですら定かではない。他の文献からもこの〝女将〟の本当のいわれと意味は定かに伝わってこないから不思議だ。日本、独特の言葉であり、日本独自の存在であることだけは確かだ。
まさしく読んで字の如く、女の将。すなわち女の大将なのだ。
料亭も旅館もこの女将なくして、何の香りも雰囲気も漂ってこない。もしかしたら、我々の大脳がそう決めてしまっているのかも知れないが。そういった意味でも、女将という存在は一つの館のシンボルでもあり、全てをとりしきるリーダーであり、顔であると同時に、観光立国を目指す、日本の象徴でもあり、何百年、何千年と継承されてきた日本の文化の一翼を担ってきたのも揺るぎ無い事実だ。
女将は常に華でなければならないが、しっかりとした実でなければならない。
幾多の旅客、幾多の文人、政治家、経済人たちも、女将たちによって己が心を深めてきたことも事実だろうし、賢い女将達によって人生の指針を知り、また、次なるロマンのために心をふるいたたせ、その実現の糧を得た人たちも多くあったであろう。
女将は何よりも魅力的でなくてはならない。『この女将がいるから』『あの女将の旅館』『あの女将の料亭だから』と常に女将はライン川のローレライ的な要素をもってのぞまなければならない。日本の「察し」の文化を背負い、もてなしの術をもって、客人の心を和ませる―まさしく名著『菊と刀』(ルース・ベネディクト)の日本そのままがある。
今、日本の女将たちは遠い日本の文化を継承しつつ、激しい時代の変化の中で、自らの経営と闘いそして新しい創造と模索の中を逡巡しつつ一条の光を放ちながらなお、輝いて健在である。
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