社会
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大学入学時の同級生が卒業後30年近く過ぎてから、年1回7月に集まるようになった。1年間限りのクラスで週3回の英語の授業で一緒になるだけだったが、文集を作ったりして当時からまとまりがあったことと、面倒見のよい幹事がいたからこそ続いている「七夕会」だ。経済学科ということもあって女子はクラスにいなかった。20人近く参加していたが、全員が古稀を過ぎ、健康上の理由から欠席者が増えてきた。そんな中で体はピンピンなのにとにかく仕事が忙しくて出席できないという人もいる。フリーのアナウンサーとしてテレビ、ラジオで活躍を続けている久米宏君だ。
彼の印象は強かったようで、同級生たちは「ひょろひょろしていたよなあ」とか遠い記憶を語る。細身で背が高く、東京っ子の雰囲気が漂う彼は、地方出身者や年長者が多いクラスでは目立っていた。適度な軽さも身に付いていた。実は埼玉県生まれだと知ったのはずっと後のことだった。
授業で英語による自己紹介をすることになり、久米君はすぐ指名された。日本語のお喋りとは勝手が違い、つっかえながらだったが、物おじせずに笑顔でやりとげた。演劇サークルに入っているとのことで、やはり場馴れしているのかと思った。次第に授業の出席が減っていったのも演劇のほうが忙しくなったからだろう。
4年生の時は学園紛争もあって、みんなバラバラになってしまったが、久米君がアナウンサーとして東京放送(TBS)に就職が決まったと人づてに聞いた。授業に出ていないのにちゃんと単位を取得したんだなあと、妙な感心をした。
しかし、TBSに入って間もない頃に消化器を患い、続いて結核にかかり、ろくに仕事もできなくなる。そんな中で結婚する。麗子夫人との共著『ミステリアスな結婚』(講談社文庫)のカバーに結婚式の写真を使っているが、痩せ細り暗い表情で、まるで別人の趣だ。
大学を卒業して7、8年後、人に会うために私がTBSの食堂に入った時、偶然、久米君と出会った。立ち話しかできなかったが、ラジオの仕事をしていると言っていた。当時、永六輔さんの『土曜ワイドラジオTOKYO』でレポーターをやっていたはずだ。その後、活動の場をテレビにも広げ、次々に番組をヒットさせる。
1979年にTBSを退社、フリーになって『TVスクランブル』(日本テレビ)を成功させ、1985年10月から『ニュースステーション』(テレビ朝日)がスタート。18年間、メインキャスターを務め、夜のニュース番組を変えたと言われる。ニュースを面白く伝えるための各種手法とともに、一貫した反権力の姿勢も評価が高い。
本人は「番組制作上、面白くするためにあえて踏み出すことはあります。中途半端だと面白くないし、やるなら徹底したほうがいい。見ていて楽しくて、明るくて、割と都会的な番組なんだけど、時の権力にはかみつく。それが意外に受けましたね」(2015年5月30日付け毎日新聞のインタビュー記事)と語っているが、それは党派的スタンスからではない。前掲の著書の中でも「日本共産党が政権をとったとしたらね、日本共産党を猛烈に批判すると思いますよ。(中略)政権というのは権力ですから、権力をチェックするのがマスコミの役目ですよね。最大の仕事だと思う」と述べている。
大学時代はクラス討論で政治問題も議論されたが、彼が何か発言したことはなく、ノンポリだったように記憶している。ただ、多くの人材を輩出して活発だった当時の早稲田大学演劇サークルの中では、自由とか反権力への姿勢は当たり前だったはずだ。
2004年3月で『ニュースステーション』が終了。現在はTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』(土曜午後1時)とBS日テレ『久米書店』(日曜午後6時)にレギュラー出演しているが、ニュース番組に復帰を期待する声は多い。本人は笑ってそれを否定するが、発言は今も当を得ていて面白い。6月末に発売された『緊急復刊 朝日ジャーナル』では舌鋒鋭く、「僕のラジオ番組で、『テレビのニュース番組を斬る』という特集をやったんです。それで普段はあまり見ない各局のニュース番組を見比べてみた。気付いたのは、番組の構成、雰囲気、言葉遣い、何から何まで似ているんですよね。昼のワイドショーは特に同じです」と切り込んでいる。そしてテレビ報道の「自粛」については「根源的な話をすると、放送局が持つべき矜持が失われているのではないかと思うんです。(中略)企業として持続することと同時に、ニュースを伝える人間は守らなければならない矜持やルールがある。それが忘れられている」と指摘している。
こんなに意気軒昂な久米君も、今は深い悲哀を感じているのではないだろうか。敬愛していた2人の先輩、永六輔さんと大橋巨泉さんが相次いで亡くなったからだ。彼の過去の著作の中から2人についての記述を抜粋して紹介したい。
「僕、永さんの前だといまだにあがっちゃいますからね。とにかくものすごく怖いっていうの、いまだに取れません。本当にもう、引っ張られたっていうよりも、拾ってもらったっていうのがあります。『土曜ワイド』での中継は、とにかく永さんを喜ばせるってことしか考えてなかったですから」
「大橋巨泉氏は、早稲田の10年先輩だ。センパイ風を激しく吹かせる先輩。放送局の廊下や食堂で、何回か、この風に煽られた。そんな時いつもひそかに思ったものだ。『あなたは中退、私は卒業』 まあ、私の卒業もギリギリのギリギリ、ひどいものだったが。しかし、巨泉氏は確かに私の先輩だと認めざるを得ない。大学でも、この業界でも尊敬し、敬愛し、畏怖さえしている大先輩だ。よし、思い切りセンパイ風に吹かれてみよう」
山田 洋
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