社会
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お2人とも昨年亡くなった。
お2人ともとびぬけての有名人ではない。
お2人とも長寿をまっとうした101才。89。凄い。
しかも死ぬまで仕事をし、見事な教訓を残して逝った。
むの氏は秋田の出身だが、晩年はさいたま市に住んでいた。この人の凄いところは、大学を出て、産経、朝日で健筆をふるったが、朝日が戦争翼賛のほうに片ぼうをかついだことに立腹し、朝日を退社。「たいまつ」という個人の新聞を発行し、平和を訴えつづけた。まさに反骨のジャーナリストとして異彩を放ってきた。評論家としても歯切れの良い文章を残してきた。「ねむるなら目をつぶりなさい。目をつぶって考える中身はたいがいくだらない。決断にむかって思考する時、目は必ず見開かれて輝いている」「自分を変える力を持った一粒はやがて1000粒の種子になる。自分から登っていく一歩はやがて1000メートルになる」等々。
渡辺和子さんは30代で岡山のノートルダム清心女子大学の学長に就任。うつ病も体験しながら、多くの学生を育て、2012年に「置かれた場所で咲きなさい」200万部をこえるベストセラーになった。渡辺さんがカトリックの修道女になったのは深い訳があった。昭和11年2月26日、いわゆる2.26事件。渡辺さんの父君は教育総監として陸軍の重鎮の座にあったが、渡辺さんが9才の時、目の前で青年将校によって惨殺された。機関銃を何十発とうたれ、骨はとび、肉はとびちり、その惨劇の場を1メートル近くでみてきた。こんな過去はめったにないはずだ。そして、成人となった渡辺さんは当時の殺人者、高橋少尉(2.26で処刑)を許した。故人の親族とは昨年までつきあってきた。常人にでることではない。「第一志望ばかり歩けるのは最良とはいえない。そうでなくとも幸せの道は必ずある」「清く、やさしく生きるには求めなさい。そうすれば与えられる」「信頼は98%あと2%は相手がまちがった時にとっておきなさい」等々。
心に突き刺さってくる。生きる指針としたいお2人だ。
編集長 伊集院隼人
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