トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 外国人の饒舌、日本人の寡黙
外交評論家 加瀬英明 論集
私はヨーガや、『ヴェーダ』や、釈尊の教えに触れて、日本人が世界のなかで、もっとも寡黙な国民であることを思った。これほどまで寡黙な国民は、ほかにいない。
私たちは和を重んじてきたから、和をつくりだすために、自己を主張することを慎み、口数を少なく抑えるよう努めてきた。
言葉を発しても、断定することをできるだけ避けて、曖昧に表現しようとする。言葉のなかに和を壊す邪な力が潜んでいることを、知っているからだ。
私はアメリカに留学した時に、クラスメートの仲間を誘って、レストランに入った。
ウェイトレスに、「ビールを2、3本(ア・フュー・ボトルズ)持ってきてくれ」と、いった。アメリカ人の学生たちが、怪訝な表情を浮かべた。ウェイトレスから、「何本なのよ(ハウ・メニー)!」と苛立ちを隠さずに、詰る声が戻ってきた。
戦後の教育は、アメリカの影響によって、討論や、自己主張が奨励されるようになった。教員がことあるごとに、「〇〇さん、よく話し合いをしましょう」という。それよりも、寡黙であるように、教えるべきである。
そこへゆくと、ユダヤ・キリスト・イスラム教は、言葉によって組み立てられた宗教である。一方、神道は、言挙(ことあ)げしない―言葉に出して、言い立てることを、避ける。
ユダヤ・キリスト・イスラム教では、教義の解釈をめぐって、間断なく論争が行なわれてきた。神学とか、解釈学という学問まであるのだ。
ユダヤ・キリスト・イスラム教は、知によって、神に近づこうとする。信者となるためには、聖書か、『コーラン』をよく学ぶことが、要求されている。
私のような日本人にとっては、知性よりも感性のほうが、心に近いのではないかと、思う。
神道は、日本人の心のありかたであって、信仰である。
日本人ならば、誰もが物心がつくうちに、その一員となっている。日本人は神道について学んだり、意識することなく、神道の価値観を身につける。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 三章 インドで考えさせられたこと
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