社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
新宿駅東口の新宿高野本店ビル6階で、1960~70年代に若者たちの人気をさらったアンダーグラウンド劇団の活動を当時の写真や映像、チラシ、ポスターで紹介する「ああ新宿 アングラ×ストリート×ジャズ展」が開かれている(主催・早稲田大学演劇博物館ほか 7月2日まで 入場無料)。会場には当時が青春時代だった人たちばかりでなく若い人の姿も見られた。
アングラ演劇といっても地下活動をしていたわけではなく、それまでの商業演劇や新劇とは一線を画して、実験的な舞台表現で独自な世界を作り上げようとしたのである。具体的には見世物小屋的要素を取り込み、それまで低俗だとして退けられた土俗的なものを復権させた。
唐十郎の状況劇場、寺山修司の天井桟敷、鈴木忠志と別役実の早稲田小劇場、蜷川幸雄の現代人劇場など有力劇団が次々に誕生した。この流れはその後の日本演劇に大きな影響をあたえた。
演劇に特別のかかわりがあったわけではない私にも、アングラ演劇に関してはいくつかの強烈な記憶がある。1970年10月に伊勢丹の南向かいにあったアートシアター新宿文化では、原作が野坂昭如の「骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら)」(劇団人間座 演出・江田和雄)の公演があった。暗黒舞踏の教祖的存在だった土方巽(ひじかたたつみ)と、スキャンダルがもとで長く芸能活動を絶っていた瑳峨三智子(山田五十鈴の娘)という組み合わせもあって大変な人気を集めた。超満員の観客と舞台が一体となって館内は異常な熱気に包まれた。瑳峨の変わらぬ妖艶さもうれしかったが、初めて見る土方の舞踏は衝撃的だった。体の重心を低くして地を這うようにして踊る異形異相の姿は、それまでの舞踊の常識では考えられないものだった。評者たちはそれを「優美に対する醜悪」とか「切り捨てられてきた農村を蘇らせた」とか解説していた。土方のそばには半裸で白塗りの女性たちが一心不乱に踊っていた。激しい稽古のせいか、みんな痩せていて、巨乳の人はいなかった。土方と弟子たちとの稽古は非公開が原則で、「どちらかが死なないと(相手に)カタチが乗り移らない」というほど真剣な作業が繰り返されたという。
私は飲み仲間に誘われて、ほとんど予備知識なしで見たのだが、1週間後には職場の先輩からも誘われ、もう一度見てもよいと思い、再訪した。アートシアター関係者の証言によれば、「骨餓身峠」を2回見た人は多いそうだ。
土方が早世すると、弟子の女性たちは彼の未亡人が六本木でやっていたショーパブなどで踊っていた。私も何回か行ったが、酔客相手のショーだったので、芝居の時よりエロチシズムの度合いは濃くなっていた。
アングラ劇団では早稲田小劇場も忘れられない。学生演劇が母体の劇団で早稲田大学の近くの喫茶店の2階で活動していた。1970年代初頭に見に行ったが、看板女優・白石加代子の迫力に圧倒された。狂女役の演技が評判になっていたが、その時も狂女を演じ、たくあんを丸ごとかじっては、それを口から吐き出す場面があった。千切られたたくあんは客席にも飛んできた。今、彼女はNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」にアパート管理人役で出演しているが、登場シーンでは大きめの口からたくあんが飛び出すような気がして、つい身構えてしまう。
山田 洋
バックナンバー
新着ニュース
- 島耕作、50年目の慶事が台無しに(2024年11月24日)
- 第31回さいたま太鼓エキスパート2024(2024年11月03日)
- 突然の閉店に驚きの声 スイートバジル(2024年11月19日)
- すぐに遂落した玉木さんの質(2024年11月14日)
特別企画PR