トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 限りなく優しかったイエス
外交評論家 加瀬英明 論集
私は次にイスラエルに戻った時に、ガリラヤ湖の北岸を訪れた。イスラエルの友達が車を運転して、案内してくれた。
イエスは、ガリラヤの人として生きた。共感福音書によれば、イエスがエルサレムを訪れたのはただ一度、死ぬためだった。
イエスは、ヨルダン川渓谷を南へ降って、ユダ高地から西エルサレムまで歩いたのだろうか。
私はその道をたどった。そうしながら、イギリスの劇作家で詩人、T・S・エリオット(1888年~1965年)の「荒れ地」という、有名な詩を思った。
いつも、お前とともに歩いているのは、誰か。
お前と私としか、いないというのに、
前の白い道をみあげると、もう一人が、いつもお前と歩いている。
「もう一人が、いつも歩いている」というのは、イエスである。
私は、金髪の神霊治療師だった。美しいアメリカ人女性を知っていた。
過ちを犯して、悩んでいる人がいると、「いつもイエスといっしょに、歩んでいると思いなさい。イエスはいつも、あなたといっしょにいます。あなたが過ちを犯した時に、イエスはどのように思ったでしょうか」と話す、と言った。
そして、「イエスは赦してくれたでしょう。これからは、イエスを悲しませないでください」と諭すと、教えてくれた。
この神霊治療師は、ルース・カーター・ステイブルトン夫人で、カーター大統領(当時)の妹だった。背の高い、きさくな獣医と、結婚していた。ルースは日本にも、遊びにやってきたが、故人になってしまった。
イエスは、村から村へ巡る、神霊治療師だったのだろうか。あのころは、神霊治療師が珍しくなかった。
私には、イエスが実在したのか、分からない。私は高校に進んでから、一休に憧れた。すると、一休とイエスのあいだに、多くの共通点を見出した。
一休も、イエスも、大伽藍に背を向けて、釈迦のように放浪して、貧しい人々とともに、生きた。
一休とイエスは、商女を好んだ。イエスはユダヤ教徒だったが、キリスト教の開祖になろうとは、思わなかったはずである。二人は破壊僧であって、限りなく優しかった。
一休(1394年~1481年)は、室町時代の禅僧で、素晴らしい詩人でもある。
一休に「しらざるはほとけ(仏)も人もおなじこと さてこそ人のまよいこそすれ」という歌がある。
禅宗が退廃したことを憤って、人々から奇矯だとみられた行状も多かったが、朝野から崇敬された。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 五章 エルサレムで考えたこと
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