トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 聖墳墓教会にみる一神教の現実
外交評論家 加瀬英明 論集
私はエルサレムで、聖墳墓教会をたずねた。
イエスが葬られて復活したという、洞のうえに建てられている。この洞に、イエスが一時、葬られたことから、聖墳墓と呼ばれている。
エルサレムの観光案内のようになるが、聖墳墓教会の生い立ちに触れよう。
キリスト教に改宗した最初のローマ皇帝、コンスタンティヌス大帝(在位306年~337年)の治世に、エルサレムの主教間マカリオスがローマの多神教の女神であるヴィーナス神殿を壊して、その下を2年に渡って発掘し、聖墳墓を発見した。そして、コンスタンティヌスの命によって、壮麗な聖墳墓教会が造営された。
聖墳墓教会は、モハメッドがそこから天に昇ったと伝えられる、アル・アクサー・モスクの黄金のドームを東に望んで、キリスト教地区のなかにある。
聖墳墓教会のなかに入ると、薄暗かった。私はマグダラのマリアが墓を見に来ると、墓が空であり、イエスが甦ると、まずマグダナのマリアの前に姿を顕したという、福音書の記述を思った。私はマグダナのマリアが、イエスの愛人だと思ってきた。
ギリシャ正教の老いた僧が、私を見つけて、前歯が欠けた口をあけて、媚びた笑いを浮かべながら、蝋燭を差しだいして売ろうとした。私は現実に、引き戻された。
聖墳墓教会は、ギリシャ正教系の東方正教会、カトリック教会、アルメニア使徒教会、さらにエジプトのコプト正教会、シリア正教会、エチオピア正教会によって共同管理されている。各派が、教会をそれぞれ占有区域に分けて、互いに定めた時間に、それぞれ経典を行うということだった。
私はイスラエルの友だちに連れられて、広大な教会のなかをまわった。聖墳墓は、地下室にあった。
教会には、多くの廊下、礼拝堂、小室などがあった。この教会の長く、重苦しい歴史について書いたら、分厚い本ができると思った。
友人が、廊下、礼拝堂や、小室だけでなく一本一本の柱から、横木、壁に設けられたへこみ、床下に嵌め込まれた石板の一枚一枚にいたるまで、それぞれの派によって専有されていると、教えてくれた。
友人が「宗教者の担当者によると、各派の確執はそれはひどいものですよ。典礼の時間が食い込んだとか、相手の椅子が自分の区分にはみだしたという些細なことをめぐって、僧たちが殴り合うのです」といって、笑った。
私はエチオピア正教会の僧と、話したかった。
エチオピアはギリシャ語の「黒い顔をした人」が語源だが、最古のキリスト教国の一つである。ソロモン王時代に伝統的なシバの女王が、エルサレムまで施設を派遣しており、エチオピア商人も頻繁にやってきた。
だがエチオピア正教会は、他の教会から差別されていて、私が訪れたときも、エチオピア正教会の区分は、なんと聖墳墓教会の吹きさらしの屋上にあった。
修道僧や、修道女たちは、トタン板で囲った、粗末で不潔な屋上のなかで、生活していた。
私が声をかけると、何人かの修道僧や修道士が、エルサレムの強い陽光のもとで、祈り畳式の椅子を出して、迎えてくれた。
そして、いかに他派から、ひどい差別を蒙ってきたか、口々に訴えた。私が訪れた少し前にも、ギリシャ正教と、カトリックのフランシスコ会の僧が、境界争いから乱闘して、イスラエルの警官が出動したと、語った。
私は、ジョンが『イマジン』のなかで、「宗教がなかったら、世界が平和になる」と歌ったことを、想い出した。
イエスが「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい」という箴言を遺している。それにもかかわらず、ほとんどの宗教は教団化すると、自派の教勢と既得権を守るために、排他的になる。
一神教の世界では、どの宗教も真理を独占しているから、他宗に対して寛容になれない。日本のように、習合することができないのだ。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 五章 エルサレムで考えたこと
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