トップページ ≫ 社会 ≫ デヴイ夫人に恐いもの無し (1)
社会
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テレビ番組に頻繁に登場し、今や人気タレントのようになったデヴィ夫人を見るたびに、この人の並外れたたくましさに圧倒される思いだ。バラエティ番組で若者たちを爆笑させ、『徹子の部屋』ではこれまでの人生を振り返り、さらにシューズ通販のCMにも出演して商品の売れ行きを急伸させる。そのパワーの裏には、彼女が経験してきた波乱万丈のドラマがある。
『徹子の部屋』の中でも語っていたように、初恋の人とは死別に至るが、アルバイトで始めたナイトクラブ勤めが縁で、1959年6月に来日中のインドネシア大統領スカルノと出会い、運命が大きく変わる。その時19歳の彼女を大統領はとても気に入り、帰国後も手紙を寄越した。2度目の手紙では「インドネシアに遊びに来ませんか?」との誘いがあり、冒険心も手伝って行くことを決意する。
東西5100kmの中に大小13000以上の島を有し、人口が世界4位のインドネシアは、第2次世界大戦後の1949年にオランダから独立を勝ち取った。スカルノは独立戦争の英雄として国民の圧倒的支持を得る。日本は大戦中にオランダを追い出し、3年半にわたりインドネシアを軍事統治した。その間に与えた損害に対する償いとして賠償を払っていた。あまり予備知識がなくて同国を訪ねた彼女も、現地での大統領の英姿に魅せられ、彼からの求愛にこたえて、2週間の予定が長期滞在となった。
スカルノはイスラム教徒なので4人まで妻を持つことができるのだが、彼にはすでに2人の妻がいた。第1夫人は2男3女に恵まれたが、第2夫人の存在を許せず、大統領宮殿を出てしまい、離婚同然だった。第2夫人はかなりの策略家で、終始デヴィ夫人と対立することになる。
その後、母の病死に続く弟の自殺(父は数年前に死去)で悲嘆に暮れながらも、事ここに至ってはスカルノ大統領とともに生きるしかないと、1962年3月に結婚式を挙げ、日本国籍を捨てインドネシア国籍を得た。正式な大統領夫人になってからは、週刊誌など日本のマスコミのバッシングが激化した。
結婚後も大統領の4番目の妻の存在など、彼女を苦しめ悩ませるトラブルが続くが、1965年9月30日の深夜に起きた事件は、大統領とデヴィ夫人の人生をすっかり変えてしまうことになる。首都ジャカルタで陸軍左派によるクーデターが発生、スカルノ政権転覆をはかったとされる陸軍の将軍たちを襲撃し、6人を殺害、死体を古井戸に放り込んだのだ。 (2)に続く
山田 洋
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