トップページ ≫ 社会 ≫ 新しい日本の台所となれ!豊洲市場の未来—豊洲住民私感
社会
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幾多の紆余曲折を経て豊洲市場が10月11日開場した。1935年、日本橋から移転した築地市場は直接鉄道からの輸送の仕組みを持つ最先端の施設だった。しかし時代の変遷とともに施設の老朽化が進み、また鉄道輸送を前提としたインフラ設備が段々と時代にそぐわなくなっていった。最初の移転話が持ち上がったのは1970年代、随分と昔の話になる。その後1980年代の半ば、鈴木俊一都知事時代に築地エリアでの建て替えの方針が打ち出された。しかしこの計画もスタート10年後の1996年に整備費の高騰、また一部関係者の強い反対から中断を余儀なくされてしまう。次の石原都知事時代の2001年、広い土地の確保、築地との距離が近く商売の継続性を担保できること、また交通アクセスが良いとの理由から初めて新市場の候補地として豊洲の名前が挙がることとなる。だがもともと東京ガスの工場跡地であるこの土地の土壌汚染は当初の想定を超えており、長年にわたり関係者を悩ませ続けた。昨年2017年に都は新たな地下水の汚染対策として地下の床にコンクリートを敷き詰め、地下水をくみ上げるためのポンプの増設を実施した。今後も雨水が流水する毎に、当然の如く水位の上昇は避けられず、このポンプの管理は永久に続けていかなければならない性格を有している。今回移転最終段階で新市場開場に何度も待ったがかかることになってしまった最大の理由は、こうした管理サイドにとって都合の悪い情報がタイムリーに開示されない、もしくは小出しにしか出てこない行政の体質に因る所が大きい。開場後も施設において継続的なモニタリングが必要な情報については、遅滞なく情報が開示されることは必須であり、そうした姿勢の積み重ねが消費者の安全・安心に繋がり、また信頼の醸成に不可欠となろう。
昨今魚介類、生鮮食品については市場を経由しない、大手スーパー等による直接買い付けが増える傾向にある。だが築地時代にはマグロ・エビ・カニ・貝など個々に当代一流の仲卸が数多く存在し、良いものを適正な価格で目利きしてくれるとの絶大な信頼が、全国の仲買人から寄せられていた。その人達が新たに結集し、かつ近代的なインフラも備えている豊洲新市場、少し時間はかかろうが築地に負けないブランドに育っていくことと思う。世界に冠たる新市場、豊洲ブランドを育てていくのは我々消費者にもかかっている。その場限りの喧騒をかきたて面白がるのはいい加減にしてもらいたい。千客万来の新しい日本の台所となること、強く願わずにはいられない。
小松 隆
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