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一昨年7月に亡くなった作曲家・平尾昌晃の遺産相続をめぐって遺族間で争いが起こっている。彼は3度結婚しており、最初の結婚で1人の息子、次の結婚で2人の息子を得て、20年間マネージャーをつとめた女性が2013年に3人目の妻となった。この人は今、50代で子はいない。
彼女は夫の死後、音楽出版管理会社とマネジメント会社の社長に就任したが、これに異を唱えたのが歌手をしている三男だった。平尾は多数のヒット曲を生み出し、その遺産、特に今後も得られるだろう音楽印税により、遺産総額は60億円とも言われている。
この話を聞いて、昭和の大ヒットメーカーの遺産相続をめぐる騒動と信じられないような結末を思い出した。95歳の今も歯切れのよいエッセイが人気の佐藤愛子の異母兄で詩人のサトウハチローは、『リンゴの唄』『長崎の鐘』などの歌謡曲とともに『ちいさい秋みつけた』『うれしいひなまつり』などの童謡の作詞でよく知られる。彼も3度結婚し、最初の妻との間に1男2女、次の妻には2男、そして長い愛人生活の末に3番目の妻となった元ダンサーには子はいなかった。この辺の事情は佐藤愛子の自伝的大河小説『血脈』に詳述されている。
1973年にサトウハチローが亡くなるが、この時、長男と異母弟の三男は妻子がありながら食うや食わずの生活をしていた。父の遺産が転がり込むはずだったが、弁護士に入れ知恵された長男は、未亡人が著作権を独占することに異議を申し立て、決着がつかないうちに三男が胃がんで逝ってしまう。
1年7か月も揉め続けて決着したものの、長男は受け取った金をたちまち散財したばかりか、酒びたりの生活が体をむしばみ、間もなく野垂れ死に同然の最期を迎えた。
サトウハチローと親しかった佐伯孝夫は『鈴懸の径』から『いつでも夢を』まで、戦前・戦後を通して多彩な作詞活動を続けた。数年前にこの人の娘さんとお会いした時、「父はビクターの社員扱いされたので印税ではないんです」と言っていた。学者になった彼女だが、いつも印税のことで羨まれるのに困惑していたようだ。(文中敬称略 )
山田 洋
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