トップページ ≫ 外交評論家 加瀬英明 論集 ≫ 「貧」とは財産(貝)を分けること その2
外交評論家 加瀬英明 論集
ついこのあいだまで、人々は人生が苦しいことの連続であると、思っていた。だから、少しでも楽しいことがあれば喜んだ。
ところが、今日では高齢者まで含めて、人生が楽の連続であるべきだと、思っている。
だが、これは真実からほど遠い。 人生、はエンターティンメントではない。
人がこのような偽りの生活を送っているから、挫折しやすい。精神的に脆くなって、不
安に苛まれることになる。 あまの やく
私は漢字のなかで、「貧」という字を好んでいる。なにも人に逆らって楽しむ、天邪鬼なのではない。
太古の時代には、貝が貨幣だった。貝貨と呼ばれた。漢和辞典で「貝」という字を引くと、 いくつか意味が挙げられているなかで、「貨幣」と説明されている「財」「買」「賣」「賃」「費」「購」は、みな、貝がついている。
貧は小さな貝を、家族や、友人が分かち合うさまである。そうして、心も分け合った。
昭和54(1979)年に、日本で先進七カ国 (G7) サミットが、はじめて催された。その後、 ロシアが加わって、G8になっている。
大平内閣の時で、私は外相の顧問をつとめていた。
赤坂迎賓館の前庭で、ホスト国の大平首相を囲んで六カ国の首脳とヨーロッパ共同体 (EU) 事務総長が、記念撮影に収まった。
その日は、美しく晴れあがっていた。今日、G7がG8になっても、日本だけが有色人種で、非キリスト教の国である。
私は日本は偉い国だと、思った。だが、同時に、日本だけが白人と並ぶ国となったのは、他のアジア・アフリカの民と違って、模倣することに長けていたからではないか、という思いが 頭をかすめた。
そして、明治維新を行なった先人たちは、三つの目的を持っていたにちがいないと思った。一つ目が、日本の政治的独立を全(まっと)うすることであり、二つ目が経済的な独立を全うすることで、三つ目がもっとも大切だと思った。それは、日本の文化的な独立を守ることだった。
政治的、経済的独立を守るのは、私たちの文化的な独立を全うするためだったはずだった。しかし、西洋に追いつき、追い越そうと熱中して洋化に努めるうちに、いつの間にか、目的と手段を混同するようになってしまったのではないかと、思った。今日、日本は西洋を生半可に真似た、歪(いびつ)な国になっている。
樋口なつは、明治29年に世を去った。葬儀には、12,3人が出席しただけだった。その前年に、日清戦争が日本の勝利によって終わっていた。
なつは、日記を遺したが、しばしば内外の情況に触れて、日本の将来を憂えている。
病没した前年の明治28(1895)年といえば、今から116年前になる。
なつは日記に、「安きになれておごりくる人心の、あはれ外(と)つ国(註・西洋)の花やかなるをしたい、我が国振のふるきを厭ひて、うかれうかるゝ仇(あだ)ごころは、流れゆく水の塵(ちり)芥(あくた)をのせて走るが如く、とどまる處(ところ)をしらず」「流れゆく我が国の末いかなるべきぞ」と、記している。
五千円札を手に取るごとに、なつの言葉を思い出したい。
ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたか 9章 失われた日本人の面影
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