トップページ ≫ 社会 ≫ 入間川水害の教訓 新しい技術で一日も早く堤防対策を
社会
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入間川がこんなに暴れたことはない。入間川の源流は飯能市。飯能といっても旧名栗村だ。江戸の昔は、この名栗村の良質な材木を江戸に送っていた。西川材といった。この入間川。昔は飯能地区の流域は名栗川といった。この飯能はじめ川越に至る流域は舟頭たちの休憩場であり、宿泊の場で夜の街として栄えた。昭和の40年代頃、飯能は芸者衆の数は100を超えていた。昼間から三味の音がきこえていた。
さて、この名栗川には数多い沢があって、大水の時には鉄砲水となって名栗川に突っ込んだ。しかし、入間川は堤防がよく耐えてきた。その堤防にも油断と老朽化があった。弱くなった堤は水圧に耐えられなくなった。そして遂に決壊。甚大なる水害となった。「コンクリートから人へ」とおよそ、この災害王国日本を無視したスローガンをあげて一回だけは政権をとったもろい政党があって、自ら欠壊してしまった。入間川あたりでスーパー堤防は無理だが、この際堤防の総点検すべきだ。今日ではコンクリート以上に強固な土を固める資材もできているのだから自治体は一日も早く対応すべきだ。
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