トップページ ≫ 社会 ≫ ある宰相が生涯貫いたもの、大平正芳の精神に学ぶ
社会
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ここの所、頭上をかすみで覆われているかのようなもやもやとした状態が続いている気がしてならない。世間をどこか重たい空気が覆っている。
正体のつかめない新型コロナウィルス被害の拡大。収束は未だ全く見通せず、まだ数か月はこの状況が続くとの厳しい見通しもある。
また長期政権の緩みからなのか国会での論戦は与野党全くかみ合わず、さながら泥仕合の様相を呈しており互いに揚げ足取りに終始する様には心底がっかりさせられる。
話は飛ぶ。かつて大平正芳という政治家が存在した。1978年~1980年まで総理大臣を務め、その頃よくいわれていた三角大福中の大がその人にあたる。当時、中学生であった私の氏に対する率直なイメージはぱっとしない人、そんな程度であったと記憶している。
あ〜う〜宰相や鈍牛などそのイメージのままのあだ名がつけられていたが実はそうした人物ではなかったとの再評価が近年定着してきている。敬虔なクリスチャンであり、また豊富な読書量に裏打ちされたその知性は田中角栄をして大平正芳は政治家ではなく、哲学者だと評されるほどのものだったという。もちろんほめてけなしてという側面はあろうが。
総理大臣としては自民党内の衆院選大敗に起因した四十日抗争やその後の党内分裂による内閣不信任案可決を受けた選挙突入後の突然の死によって、本人が意図した消費税導入や環太平洋構想などの政策の実現は叶うことはなかった。
改めて大平の再評価が進むその背景には政治家のあるべき姿とはと問わずにいられない市井の人々の渇望が感じられてならない。
政治から生々しい闘争が消えることは決してない。であればこそ、そのメインステージに立つリーダーには生涯を通して自らが立てた原理原則に忠実であれという想いの発露ではなかろうか。
大平は生来の温厚な人柄、またその知性を拠り所とする政治家として生き抜き、またスタンスは生涯を通して終始一貫ぶれることはなかった。その精神は自らをごまかさずまた忍耐がそれを支えた続ける原動力だったとの後世の評価が故人にたむけられている。
その場のケンカに明け暮れるのではなく、射程を遠くに定め、未来に繋がる議論の場を確立する。そうした建設的営為を積み重ねることが今、早急に求められている。先人を想い、その精神に学ぶ、我々はそのことを決して忘れてはならない。
小松 隆
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