社会
特に埼玉県、さいたま市の政治、経済などはじめ社会全般の出来事を迅速かつ分かりやすく提供。
先行き不透明、現在を偽らざる心境で表すとしたらこんな感じであろうか。収束する気配を一向に見せないコロナウイルスは、様々な形で多方面に甚大な影響を及ぼしている。高齢者は長期にわたりほとんど外出もままならない生活を強いられている方も多く、その中で精神・肉体両面に及ぼされる影響については大変に心配される所である。
眼前を覆うこの不透明な空気に押しつぶされることなく、平衡感覚を保って過ごしていくためには何が必要なのだろうか。
人はもともと目先の事象に流されやすい生き物である。そうした性に引っ張られることなく、さながら金太郎あめの如く変わらず日々を過ごしていくためのよすがとなるもの教養は欠くべからざる大切なものとなろう。
この教養とは何も人類史を百科全書的に網羅する知識といったものではなく、日々を落ち着いて流されずに生きていくための処方箋といった意味合いのものである。
一例を挙げる。ネット社会での言論はまさに玉石混交といった感が強いが、玉もそれなりに存在している。しかしそれは匿名の形で行われていることが多い。武士の名を名乗れではないが、名無しの権兵衛さんではその内容が一過性に留まらず、真剣に顧みられるケースは多くないだろう。何故こうした状況になってしまっているのかといえば、身分をさらしての意見の開示は不特定他者からの容赦ない攻撃を招く恐れが高く、それを未然に防ぐ自己防衛意識以外の何物でもないだろう。個人が現下の状況化でこの選択をするのはある意味合理的とさえいえよう。しかし個人においてそのパーソナリティーとあるテーマに向けて発せられた意見は本来腑分けして考えるべきものである。こうした言論の場が多数の合意形成に基づき生み出されない限り、この状況が変化する事はないだろう。知識は飛び交ってはいるが、それを包摂する場が存在しない。ここにはまた教養の姿も確認することは出来ない。
表層の知識ではなく、物事の本質を根っこから大きく捕まえるような骨太の思考を形成するバックボーンに、教養は不可欠である。まず自分の頭をかきむしって考える、その過程で必須の滋養を与えてくれる教養は、個人の次元に留まらず、より開放感のある社会を醸成するための原動力にもなり得よう。巷間、この国の同調圧力について懸念が語られている今、急がば回れ、それぞれが自身の教養を磨き、それを礎に意見を述べられる世の中、どちらがよりまともな社会なのかはいうまでもない。
小松 隆
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