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新型コロナウイルス禍でも比較的安心なのは美術館かと思っていたら、緊急事態宣言などのために延期や途中打ち切りが続出し、いくつか見損なってしまった。6月末にやっと希望の美術展会場に入り込めた。
東京駅の中にある東京ステーションギャラリーで開催されていた『コレクター福富太郎の眼』だ。副題は『昭和のキャバレー王が愛した絵画』で、その福富氏(本名・中村勇志智 1931~2018)とは面識があり、今回の展示のメインをなす鏑木清方の美人画とも縁があったからだ。
1970年代後半に週刊誌の編集部員としてグラビア企画「各界著名人の食事拝見」に福富氏の登場もお願いした。朝食は東京大田区の自宅で若い奥さんの手料理を食べているところを撮影。くつろいだ福富氏と、食堂から見える洗足池の眺めが印象的だった。当時は絵の収集家という一面はよく知らなかったが、その辺に話を向けたら、ご自慢の収集品を見せてくれたかもしれない。
夕食はご本人が経営するドイツレストランで。一日付き合ったことで、その後も週刊誌記事のコメント依頼等で福富氏に連絡することが増えた。仕事柄か、サービス精神が旺盛で、こちらの問いに一生懸命応じてくれた。
福富氏は東京の大井町に生まれ、敗戦後間もなく都立園芸学校を退学して16歳で喫茶店、中華料理店の店員を経てダンスホールのバーテンに。そこからキャバレーのボーイ、支配人へ。26歳で独立、神田に「巴里の酒場」を開業、その後、矢継ぎ早に「ハリウッド」チェーンを展開、1964年には銀座8丁目にホステス800人の「銀座ハリウッド」を開店し、話題を集めた。10年間、業界一の売上高と納税額を記録し、「キャバレー王」と呼ばれた。
今はほとんど消滅したキャバレーだが、戦後の高度経済成長時代に隆盛をきわめた。ショーを見せるステージや生バンド付きのダンスホールがあり、広いスペースに多数のホステスをそろえていた。料金もクラブよりかなり安かったので、企業の接待や自前の客で賑わった。バンドがなく、音楽をテープやカラオケですます店はサロンの営業許可しか下りなかった。
キャバレー経営で得た富を福富氏は絵画収集につぎ込んだ。画家の有名無名を問わず、自分の好みの作品なら即買い取るというものだった。今回の展覧会を監修した明治学院大学の山下裕二教授(美術史)は「戦後最高のコレクター」と絶賛している。
福富氏は「芸術新潮」で連載記事を受け持っていたので、それをまとめて新潮社から『絵を蒐(あつ)める――私の推理画説』(1995年)、『描かれた女の謎――アートキャバレー蒐集奇談』(2002年)が刊行された。誰も見向きもしないような作品でも、気に入ると資料や文献で徹底的調査をする。絵の作者にも面会する。その過程での興味深いエピソードが豊富に盛り込まれていて読む者を引き込む。
実は私も40年以上前に知人を通して鏑木清方作品の購入を奨められた。迷った末に断ってしまったが、福富氏に相談すればよかったと今でも悔やんでいる。
山田 洋
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