社会
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70年ほど前のことだが、選挙公報を見た私の母が「この人、また出てるよ」と呆れていたので、その立候補マニアの名前を憶えた。ガーシー議員が国会を欠席し続けたとして参議院で3人目の除名処分を受けたことから、その人の名がマスコミに登場したのには苦笑せざるをえなかった。1950年に参議院で初めて除名された小川友三議員(1904~1968)だ。
この人の出身地は北埼玉郡水深村(現・加須市)で、除名後も国会や埼玉県議会の選挙に立候補し続けたが、返り咲くことはなかった。衆議院では当時の我が住所が属する選挙区からの出馬だった。
小川が当選したのは1947年の参議院第1回選挙の全国区。定員100で50位までは任期6年、51位からは任期3年で、彼は79位。明治薬学専門学校(現・明治薬科大学)を卒業して薬剤師免許を持っていたから、トンデモ候補とは思われていなかったのか。直前にあった埼玉県知事選挙にも立候補しており、落選したものの知名度を上げ、参議院選においては埼玉県での得票がものを言ったようだ。
戦前に詐欺事件での逮捕歴があり、国会議員になってからも怪しげな言動が多かった。参議院本会議では不可解な発言を繰り返し、発言内容と採決での投票が逆になったことで除名処分に至った。
戦後の混乱期の第1回選挙だから、こんな人たちでも当選できたのかと思いきや、彼と同じ3年任期の当選者の中には知識人、将来の実力者がひしめいていたのだ。歴史家の羽仁五郎、文学者の中野重治、経済政策の理論家の木村禧八郎、後に新日本製鐵(現・日本製鉄)の副社長になり、社長より有名だった藤井丙午、参議院議長にまで昇りつめた重宗雄三などだ。終戦直後と現在の参議院、ともに除名議員を出したことから、はからずも議員のレベルの格差を知らされることとなった。
山田洋
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